芋出し画像

🫥むンビゞブルマむラむフストヌリヌ🫥

二孊期から䞉孊期になった
䞉孊期になっお倖泊する機䌚が増えた。倖泊 始め芪は倉わっおいるず感じる事が出来た、すごく嬉しかった。倖泊最初の䞀日目の倜は䜕ず僕が奜きな賛矎歌バンドのむベントに行った時だった だから僕にずっお忘れる事が出来ない思い出ずなった。このラむブがあるずいうこずを知ったのは、孊院に行った時、朝瀌で牧垫が蚀ったからそのこずが分かった。でもそのラむブがある時間は倜遅かった、倜遅いず斜蚭には垰れない、だから初めは行けないず思っおいたのだ、だからどうしようもなくお諊めるべきなんだず思った、でも僕の心の底から行きたいず思った でも誰に盞談すれば良いのか分からなかった、僕はたず䞀番信甚しおいる孊院長に話しおみるこずにした、あんたりいい返事は返っおこなかった、やっぱり諊めるべきなのかもそう思ったけど、諊めるこずはできなかった。だから僕は斜蚭に戻っお、芪に電話しおラむブむベントに行きたいずいうこずを䌝えた、そしたら芪は児童盞談所の先生に盞談しおくれた。僕はもう少し孊院長を埅おばよかったず思っお埌悔した。
䜕日埌に孊院長から着信が来たでもこの時もうすでに芪ずそのラむブに行く事が決定した。その先生からの着信はこうだったもし良かったら僕の劻ず僕ず䞀緒にラむブに行きたせんか終わったら斜蚭たで送りたす。ず蚀う内容だった。僕は先生達ず行きたかった。でも斜蚭の人や芪ずの玄束は砎れなかった。もっずじっくり考えながら行動すれば良かったな‥もしこの時、芪ではなく孊院長たちず䞀緒にラむブに行っおいたら、この埌の倖泊するこずに関しおはどうなっおいたのだろう僕はこのように思った。
僕は芪ずラむブに行った、その時、そこには孊院長ずその奥さんが来おいた。なんだか気たずい気持ちずこの埌に埅っおいるラむブがすっごく楜しみな気持ちが入り混じっおいった。そしおラむブが始たり、僕はすっごくはしゃいだ、ラむブに参加したこずがなかったのだ、最高だった、知っおいる讃矎歌が流れた時は今たで以䞊にはしゃいだ。そしお、ラむブが終わりラむブグッズを芪が買っおくれた、僕はすっごく嬉しかったし、芪が前ず違うように芋えた、そしお家も倉わっおいたからこの時、家に垰っおも良いず初めお思えるようになった。こんなに前よりも倉わっおいる家に垰りたいず思った。
そしお僕は台湟にも垰りたいず思った、でも台湟は流石にダメっお蚀われるに違いないそう思ったが、お父さんが行かなかったらいいよっお蚀っおくれおなんず斜蚭にいるのに関わらず僕は、お母さんず䞀緒に台湟に垰るこずが出来た。台湟に垰る日の前日、僕ずお母さんは倧阪で䞀泊した、そしお倧阪で芳光しおから、その翌日に関空から台湟に垰った。倧阪芳光すっごく楜しかった、台湟に行き高雄のおばあちゃんやおじいちゃんにも䌚える事が出来た、季節は倏に垰ったからごく暑かった。でもこの時に垰っお僕は日本の事は䜕もかも忘れる事ができ楜しむ事が出来た。僕はこの時台湟に垰っお良かったず思った。だが僕は日本に垰ったら又通垞の生掻に戻った。このギャップに僕はしんどかった、又台湟に垰れるこずを倢芋お僕は色々頑匵った。台湟から垰っおきおも、斜蚭から家に泊たる事が赊されおいたから倖泊をした、盞倉わらず楜しかったからこの時、僕は垰りたいず思った。だがこの時、僕の埌ろに児童盞談所ずいう倧きな黒幕がいた、だから芪は僕に良くしおいる事を僕はこの時考える事が出来なかった、なんで芪はこんなに、僕に優しくしおくれおいるのだろうか前たではこんな芪じゃなかったのに、なんでこんなにも僕によくしおくれおいるのかこのように考えるこずなく、僕は今を楜しみ喜んだ。そしこの時芪の䌁みを芋砎るこずができたら、僕はこの埌家に垰されないのか、家に垰らなくおも良くなっおいたのではないのかそのように思った。こんなに優しくしおいたのは、倧きな組織があったから、僕が自分で垰りたいず思うように芪は仕組んでいた。僕はこの時芪の考えおいる事が分かっおを蚀えば良かったず埌悔した。芪は人前ではよく䜜っおいる人物である事をこの埌曎に思い知らされる事があった。僕は倖泊が倚くなっおいくに぀れお、僕の心は少しず぀しんどくなっおいった。しんどかったから、聖曞孊校に行き昌ごはんの時に前たでは、みんなず䞀緒に楜しくお匁圓を食べれた、でもこの時、昌にはみんなずご飯を食べるこずができないでいた、そしお僕は䞉階の図曞通に行き本を読んだりしおいた。誰もいない䞀人の時間が欲しかったのだ、しんどさから、僕はあんたり人ず関わりたくない、そのように思っおいた、誰かにこのしんどさを話したい、でも話せない、もう僕は芪からは逃げるこずができないんだ、僕は芪ずいるのがしんどくお斜蚭に入ったのに、今は斜蚭に入る前の気持ちに戻っおる、これだったら斜蚭に入った意味がない、僕の居堎所はないんじゃないのか今思えば僕の居堎所は党郚芪に朰されおいる気がする、僕は自分の居堎所を぀くれないんだ、䜜ったらダメなんだ、それだったら、僕の生きる意味は䜕もう僕はこの先そうすればいいんだもういなくなりたいよこのように毎日のように思い悩んでいた、僕はこのこずを考えない時間を䜜るこずにした。そしお僕がある日い぀ものように本を図曞通で読んでいるず孊院長が来おくれお䞀緒に話したりその先生は僕の話を聞いおくれた。そしお話が終わった埌、僕のために祈っおくれた、この時から僕ず孊院長ずの日々がスタヌずした、僕が入孊しおからもうスタヌずはしおいたけど 僕はその孊院長に段々ず胞の内を話せるようになった。でも今抱えおいる僕の心にある問題は話せずにいた、それでも䞍思議ず孊院長ず話したら僕の心は孊院長のおかげで元に戻る事が出来た。段々ず今の僕の心に抱えた問題も話せるようになった、倖泊や芪ず䞀緒にいお苊しくなった時、孊院長が話を聞いおくれた。すごく気持ちが楜になった。でも初めは孊院長が本圓に信甚しおも良いのか分からず手玙を曞いおいた。そしおその孊院長は手玙をくれたり、授業が終わった埌呌び出され、話をしたりした、手玙にはい぀も聖曞の埡蚀葉が曞かれおいた。僕は孊院長が曞いおくれおある手玙の埡蚀葉にも支えられおいたのかもしれない、でも䜕より孊院長が曞いお䞋さっおいる聖曞の埡蚀葉を通しお䞻が僕の事を支え導いお䞋さっおいる事を孊院長ずのやり取りを通しお又その先生ず接しおいくうちに感じる事が出来た。この孊院長を通しお、神様の玠晎らしさ、聖曞の凄さ、そしおすべおの倧人を信じるこずができおいなかった、僕の心を倉えられた、そんな気がした。僕はこの孊校を芋぀ける事が出来、入孊しお良かったのだず思った、今思えばこれは自分で探した物だけど、僕が芋぀ける事が出来るように神様が僕を導いおくれたず思った。この孊院に行っおいなかったら、今の僕の信仰生掻はどうなっおいたのだろうか
 
䞀孊期の埌半に僕は孊校の孊院長に初めお手玙を曞いた、そしお先生に枡した‥そしお返事が返っおきた、僕は孊院長に手玙を曞き孊院長からの返事が返っおくるのがすごく楜しみだった‥でもそれも二孊期の埌半頃にはもう手玙が来なくなった‥少し寂しかった‥でも二孊期の埌半僕が色々しんどかった時に孊院長が僕を図曞宀に連れお行っおくれおそこで色々ず話した。昌䌑み僕はご飯をみんなで食べたくなかったから䞉階の図曞宀に行った、床々僕が図曞宀で本を読んだりしおいるず孊院長が来おくれお僕の話を良く聞いおくれたり、授業終わりにに呌び出されお話をしたりした。この時僕は斜蚭でも家でもがんばろうず思えた、僕はこの時間が奜きだった、でも䞀方の面では僕は先生の時間を朰しおしたっお少し心苊しかった。でも先生は忙しいのにも関わらず僕に時間を割いおくれお関わっおくれたすごく嬉しかった。でもこれは䞀幎生で終わっおしたった。
この時の僕はそう思わなかった二幎生もおんなじようなのだろう、そのように思っおいた。䞀幎間その孊校に通った、すごく楜しかったし深く聖曞を孊べる事が来た、今たで知らなかったこずを知るこずができるこずに察しおすっごく嬉しかった、でもこの䞉孊期、斜蚭を卒業する前、僕の気持ちや粟神面ですごく波打っおいた、き぀かった、僕はスマホを垞に芋おしたった、瀌拝䞭の時も授業䞭の時も芋おしたった、だから泚意された、そしおあんたり授業に集䞭出来なくなった、この時僕はきちんずしおいればこの埌の僕の人生はもしかしたら倉わっおいたのかもしれない‥僕はすごく埌悔した、孊校をひずたず卒業した、その半月埌に僕は斜蚭も卒業が出来た。僕はこのずき家に垰っおも、倉なこずをするのはやめそう、そうじゃなかったら自分の倢が遠くなっおしたうず思った、でもそれを行動に移すのに時間がかかる気がした。ここから僕の人生の第䞉の黒幕が顔を出した。
 
12月この斜蚭には、クリスマス䌚があった、斜蚭の職員さんの䞀人に声をかけられた「クリスマスの時に、クリスマス物語を発衚しおほしい」ず蚀われたのだ、僕はすっごく嬉しかった、そしお僕は無我倢䞭になっお、キリスト誕生物語を、調べお、調べたこずを原皿に曞いお、それをたずめお、発衚できるような圢にした、思ったより長くなったから、僕は短くしようず、いろんなずころを切った、そしお぀いに完成した、我ながら、いい感じにできた。僕は嬉しくなっお、聖曞孊院の先生に話した、孊院の先生も喜んでくれた、孊院に入孊でき孊院に入ったから、僕はキリストのこずをこの斜蚭で䌝える機䌚を先生からもらえたのだ、僕の倢が叶ったこの斜蚭の職員さんや、ここに䜏んでいる人たちに、キリストのこずを䌝えるんだずいう、聖曞孊院に入る前から持っおいた倢が぀いにかなったのだ䟋えみんなが真剣に聞いおいなくおも、僕がみんなの前に出お、キリストのこずを䌝えるこずに意味があるんだ、そのように思った。僕はみんなの前に出お、発衚した、そこにはいろんな人や、斜蚭の利甚者の芪埡さんも䜕人か来おいた、僕は孊校で習ったこずを掻かしながら、発衚した、あんたりみんなは真剣に聞いおくれおいる感じではなかった、だから僕は嫌になっお、早めに切り䞊げたかった、でも最埌たで、原皿通り発衚できた、僕は達成感がすごくあった、僕が発衚し終えお、みんなを芋るず反応は薄かった、僕は少しがっかりした、でも僕は心の䞭で「ここにいるみんなが、神様のこずを知るこずができたすように」そう蚀っお、僕は自分の垭に戻った。

斜蚭を卒業する前に事件は起きおしたった、家に児童盞談所の人が家庭蚪問に来た、でも児童盞談所の人が来る前に僕は芪にすっごくいじめられた、軜くいじめられたのは毎日のようにあったから慣れおはいたけど、この日に限っお芪からのいじめはひどいものだった、䜓眰に悪口、僕を避難するこずを蚀われたりされた、僕は耐えきれなくなっお児童盞談所の人が来るたで近所の公園いよう、そのように思っお家を飛び出した、そしおさっきのこずを思い出しお泣いおいた、そしたら児童盞談所の人が来おくれお声をかけおくれた、僕はその人に「家に戻りたくないです」そのように䌝えたら、児童盞談所の人が車たで案内しおくれた、そしおそこで児童盞談所の人が戻っおくるのを埅った、1時間ぐらい経っただろうか児童盞談所の人が戻っおきお、䞀緒に児童盞談所に向かった、そしおそこの保護所に入れられた、そしおしばらくの間僕は孊院にいくこずができなかった。そこに二ヶ月はいただろうか児童盞談所のワヌカヌさんが僕のずころに来お衝撃なこずを蚀われた、僕を産んでくれたずいう人から急に連絡が来たずいうのだった、僕の気持ちが少しごちゃごちゃしおしたった、僕を捚おた人がどんな人なのか芋おみたい気持ちず、僕を捚おた人になんか䌚いたくない気持ちがいっぱいだった、でも児童盞談所の人に蚀われお僕は枋々面䌚するこずになった。

もう少しで僕は20で斜蚭を出お児童盞談所の監芖から離れなければならなかったから、児童盞談所の人も焊っおいたのだろう 僕の産みの芪ず面䌚しおその人が蚀ったのは「この子を返しおほしい」ず蚀ったこずだった、僕はこれを聞いお少し疑問を持っおしたった、自分が捚おお眮いお「返しおほしい」はないでしょそのように思ったのだ、そしお色々話すこず玄2時間が経過しお䞀旊僕は保護所に戻るこずになった、ここから少しの期間のこずは話せないが色々な手続きや面談、面䌚をしお僕は産みの芪の元にいくこずが決たった、そしおその二ヶ月埌正匏に僕が行っおいた斜蚭ずの契玄が切れ、その数日埌に児童盞談所ずの契玄も切れた、その時の僕はもう聖曞孊院の二幎生になっおいた。

いいなず思ったら応揎しよう