あれから9年

2011年3月11日14時46分に始まるそのできごとは世の中を大きく変えた。それから9年が過ぎたわけだが、「もう」なのか「まだ」なのか、自分の中でまだ結論が出ないでいる。

あの瞬間を鮮明に思い出せる人は多いだろう……と書いたが、当日何歳くらいなら覚えているだろう? 就学前だと鮮明だとは言えないかもしれない。自分が保育園に行っていた頃のことなどほとんど覚えていないことの方が多い気がする。そういう人が過半数を越えたら「記憶の風化」が起こると言えるのかもしれないが、今は「まだ」9年しか経っていないので、記憶が鮮明な人が多いと思う。

私の場合、あの日は当時の東京都知事石原慎太郎がどんな会見をするかに注目していて、それを心待ちにしてテレビを観ていた。遅い昼めしにカップヌードルのチリトマトを食べて、そのスープが残っていたままテーブルの上に置いていた。

なかなか知事会見が始まらず暇なので国会中継に切り替えていたら、14時46分、あれがやってきた。

突然の突き上げと大揺れ。後からわかった震度5弱だったが、その瞬間はパニックになるほど大きく感じた。積み重ねたカラーボックスが倒れないように立ち上がって押さえながら、意識はテーブル上のカップヌードルに行っていたのを覚えている。それが倒れてスープがこぼれてしまわないかを危惧していた。大揺れが続く中、そんな莫迦げたことを真剣に思っていたなど、今考えると間抜けなのだが、当時の自分にとっては、ボックスが倒れないかと、スープがこぼれないかが最重要なことだった。

揺れがおさまった時、さいわい停電にもならず、カラーボックスもカップヌードルも無事だったが、部屋の中はあちこちものが崩れてごちゃごちゃだった。ものを片付けても余震でまた崩れる。その繰り返しがしばらく続き、国会中継も中断され、次に映し出された光景は想像を遥かに超えるものだった。

部屋の中でものと格闘していた時間はたいしたことないと思っていたが、これがもし東北地方の沿岸部だったら、今ごろ私はもう生きていなかっただろう。そんなに早く津波が襲ってくるなどと思ってもいなかったから。

自分の中で大地震のイメージは関東大震災や阪神大震災の印象が強く、大揺れによる建物倒壊とその後の火災というものだった。それがあの津波である。ヘリコプターからの中継で映し出された光景は映画でも観ているかのような信じられないものだった。

そして9年経った。物理的な時間の経過としては「もう」なのかもしれい。しかし直接の被災地の復興は「まだ」な気がする。福島原発の事後処理はまったく進んでいないと言っても好いだろう。

被災地とはまったく関係ないが、鏡を観て思う。ヒゲに白いものが増えたなと。そう、9年も経てば歳も取る。「もう」あれからそれだけ過ぎてしまった。その間、自分の生活も大きく変わった。

M9クラスの地震が起こると、その後大きな火山の噴火が起こったり、M8クラスの余震があったりするという。インドネシアの地震でもそうだった。

方や日本ではどうか。

御嶽山の噴火はあったが、あの程度ではないと思う。富士山は不気味である。M8クラスの余震も来ていない。そういう意味では「まだ」9年しか過ぎていないのである。大噴火も余震も「まだ」ないのだから、それに備えて警戒して行かねばならないと、あらためて思うのである。

合掌。


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武蔵の国のオオカミ
ここまで御注視いただき、ありがとうございます。まだ対価をいただくほどの作品を挙げていないのですが、ご好意はありがたくいただきます。