曲がったハナのはなし
補助輪なしの自転車に乗れたのは、おそらく小学校3年生くらいだったと思う。まわりに比べたら遅かっただろう。近所の公園や自宅前の道路(住宅街だったので車の通りは少なかった)で泣きながら練習して(笑)、なんとか乗れるようになったのだ。
補助輪が外れた当初はまだまだフラフラして危なっかしく、家の前の道路(一方通行でセンターラインのないもの)でUターンしようとして曲がりきれず、前輪が側溝にハマった結果、そのままの勢いで空き地の周辺にある鉄条網の柵に右前足を突っ込んでしまい、そのひらから血をダラダラ流して泣きながら家に帰った。
自転車はそのまま放置して家に帰って親に傷の手当をしてもらっている時に、ふくらはぎにも血が出ているのを見たら、さらに大泣きしたのをおぼえている(笑)。それまで気が付かなかったのが、傷やら血やらを観たとたんに痛みが走ってくることってあるよね。
その時にできた右手傷の中に、いまだに鉄条網のサビが黒く小さく残っているのを観るたびにこの事件を思い出す。
そんな不器用な小学生だった僕だが、慣れると調子に乗るもので、6年生の頃は、まさに自転車暴走族のごとく、友達何人かといっしょに小岩の住宅街を、「フレンチ・コネクション」のジーン・ハックマンか「ブリット」のスティーブ・マックイーンがごとく、自転車チェイスして遊んでいたものだった。
追いかけっこをしていて、自転車に乗ったまま相手を捕まえれば勝ちというような、鬼ごっこみたいなことをしていたと思う。相手もなかなか素早くてなかなか追いつけず、あともうちょっとというところですり抜けていく。ムキになった僕は全力で追うのだが、夢中になりすぎてスピードが出すぎていたのだと思う。
相手はさっと曲がって走り去っていくのに、僕は曲がりきれず転倒してしまい、そのままガードレールの支柱に顔から突っ込んでしまった。そのとき、ガードレールの支柱がスローモーションで近づいてくるのも見えたし、ぶつかる瞬間は文字通り目の前に火花が散った印象がある。それから鼻の奥がツーンとして、ご多分に漏れず鼻血が出てきた。友達たちは無情に逃げていて、置き去りになった僕は、たまたま家の近所だったこともあり、歩いて泣きながら家に戻ったのだった(笑)。
両親はまだ家におらず、いつもいるのは父方の祖母だけだった。近所の病院に連れて行かれたのはおぼえているが、そこで何をしたのかはまったく記憶にない。
それ以来、僕の鼻は左に曲がっている。スケルトンになった時に見える鼻の硬い骨と、触った時にぐにゃぐにゃする軟骨の境目のところから、角ができていて、軟骨部分がボクサーのように沈み左に曲がっているのだ。
今、大きなあくびをすると、その境目のところがゴキッとなるのがわかるのだ。日常生活に特段の支障はないが、あくびをするたびに、僕はあの時のことを思い出す。
良い子のみんな、自転車で追いかけっこはやめような!