除夜の鐘について思うこと

最近また話題になっていた。うるさいって苦情が来てるとか、それで鐘をつくのをやめてしまった寺が出てきたとか。

それに対して、

「そんなことで苦情を言うのおかしいんじゃないか?」

とか

「その程度の苦情で伝統行事をやめてしまうのは風情がなくなる」

とかいった意見を見かけるし、私も最初はそう思っていた。

やはり、大晦日の夜は「ゆく年くる年」で

雪の永平寺の鐘の音

を聴きながらこたつでみかんを食べるのが風物詩だろうと思い込んでいたから。

由緒正しきお寺ではるかに昔から大晦日に除夜の鐘を点いているものだという刷り込みができあがっていたからこそ、

「そんなことにクレーム入れるのか? 風情がないな。伝統行事だろう。」

というリアクションが出てきたのだろう。

しかし、検索すればすぐにわかることだが、実は大晦日の“夜”に除夜の鐘をつくという行為はたかだか90年程度の歴史しかないことなんだね。NHKがラジオ中継のために上野寛永寺にもちかけて始まったのだとか。まあそれでも3世代くらいの期間は経っているから、伝統といえば伝統になっているのかもしれないが、少なくとも江戸時代以前からあったものではなかったわけだ。

ところで、その江戸時代には、庶民の間に時計など普及しておらず、時刻を示すために寺の鐘を鳴らして知らしていたのはご存知だろう。落語「時そば」にも出てくるくらい有名なことだから。まあそれにしても時報として捨て鐘を含めても最大12回。除夜の鐘の108回に比べたらずっと少ない。40分から1時間くらい鐘が鳴りっぱなしというのは近所であれば騒音に感じるのかもしれない。

江戸時代の夜中の鐘に関しては苦情が多かったという話は聞かないが、現代の日本ではそういうものでさえクレームが入る時代なのだと考えると、やはり

風情がなくなったな

と思ってしまう。でも、もともとは寺が先にあったわけで、それを知った上で後から棲み着いた住人が文句を言うのはどうなのかなと思ったりもする。

小学校とか幼稚園の場合なら後から施設ができて、それで騒音問題が発生するということもあるから、まだ住人が反対する理由も理解はできるが、寺の場合は順番が違うしね。

とはいえ、もうすでに50年近く前に除夜の鐘に関して判例が出てるというのも驚きだし、今でも裁判沙汰になっているというのも何かやるせないものがある。

何百万円も掛かる防音対策ができずに鐘を点くことをやめてしまう寺があるのも残念だが、高齢化や生活習慣の変化で参加者が減っているというのを受けて、寺の側が変わったという話もある。昼間とか夕方に除夜の鐘を点いて以前よりも【集客】に成功したとか。

そもそもが、年またぎで鐘を点くようにしたのはNHKがいけないのだから、クレーマー住民はそれこそ

【NHKをぶっ壊す!】

運動をすれば好かったのではないか?(笑)

まあ、江戸時代でも除夜の鐘の習慣はあり、正月の夜明け前から始めたという話もある。まだその方が受け入れられる可能性はありそうだ。

時代とともに風習は変化するのは仕方ないが、世知辛い世の中になったものだね。

雪の永平寺、好いよ!(笑)


ここまで御注視いただき、ありがとうございます。まだ対価をいただくほどの作品を挙げていないのですが、ご好意はありがたくいただきます。