「宝石の国」完結によせて
(ネタバレ全開です)
本当に巷の予想通り108話で完結しましたね
第九十九話「始まり」でフォスと石ころが語り合うシーンがあるのですが
という会話が唐突に始まるんです
あまりに脈絡がなさすぎて、これはフォスの未来の暗示、つまり、フォスは最終的に太陽と合体し白色矮星になって、宇宙の終りまで石たちに歌を聞かせることになるのだろうと私は考えました。だから最終回でそのシーンが描かれると推測していたのですが、まったく描かれなかったですね(笑)
代わりに、新フォスの欠片が別の宇宙に入って、大きな彗星になった様子が描写されました
なぜ旧フォスが白色矮星になったシーンが描写されなかったのか、実はかなり当惑したのですが、その一方で、白色矮星描写は九十九話でもう必要十分だとも考えてました。実際、これ以上最終回で描写を重ねてもくどくなるのでは?そういうのは市川春子さんらしくないなとは思ってたんですよ。
それでも、さすがに、まったく描写しないとは思いませんでしたけど……
白色矮星になった旧フォスに「意識」があるのかどうかは正直わかりません。燃えたぐらいでそんなに簡単に「無」に行けるのだろうか?と私は考えていました。
それと、最終話の掲載された「アフタヌーン」2024年6月号の表紙には二人のフォスが描かれているんですよ。この旧フォスは星の姿はしていませんが、白色矮星になって遠くから新フォスを見守っていることを意味しているのかもしれません
それはともかく、旧フォスに意識があろうがなかろうが、旧フォスは白色矮星の一部になり、新フォスの欠片の大部分は別の宇宙の彗星となるわけで、つまり、両者とも星となって周囲を明るく照らすこととなる点が、最終話の一番のポイントだと思うんですよ
二番目のポイントは、旧フォスも新フォスも、どちらもいろんなものを削ぎ取って「軽くなった」ということです。最終的に新フォスは極小粒子になったようですが、これは仏教と関係あるのでしょうか?私にはよくわかりませんが、これが執着を手放すということなのでしょうか
であれば、仮に白色矮星になったフォスに意識があったとしても、もう人間が生まれようがどうでもいいという心境になっていると思うんです。
第百話で石のたすたすくんが作った
という詩にあるように、フォスの光は、相手がなんであれ、すべての存在に対して「等しく」注がれるのでしょうから。
もう一方の、彗星になったフォスも、宇宙のあちこちに出かけて「だれかのきぶんをあかるくしてる」ことでしょう。
このシーンで幼いフォスの頭をつけたような可愛らしい生物が描かれてますが、彼がどんな存在であれ、たとえ人間のような生き物であっても、彗星を見て「きぶんをあかるく」しているはずです
そこには、人間に対する差別も嫌悪もありません
また、「宝石の国」のような私の心を惹きつけてやまない作品に、残りの人生で出会いたいものです
(追記)
「遠い夜 古い光……」の詩を作ったのは、たすたす君ではなくて、名前の明らかにされてない三角形の石でした
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?