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1960年代 『週刊少女フレンド』、高橋真琴の表紙たち

数日前、真琴アート株式会社さまからお手紙が届きました。
高橋真琴先生が
「去る11月17日、90歳にて永眠いたしました」と書かれてありました。

ご連絡をありがとうございました。
謹んで……ご冥福をお祈りいたします。

少女まんが館では、ちょうど『週刊少女フレンド』の整理(データベース入力作業)をしておりました。なので、作業のあいまに真琴先生の表紙を見つけては、せっせと写真撮影。

『週刊少女フレンド』(講談社)創刊号(1963年)の表紙は、栗色ヘアに青い目、白い肌の小さな女の子モデルがお犬さまを抱いて笑っています。以後、基本的に金髪系白色人種小さな女の子モデルが表紙を飾っていたのですが、翌年あたりから、ええ、真琴先生の少女絵が登場します。

いま見ても、うっとりします。1960年代後半のMAKOTO画。なんというか、透明な愛、を感じます。

では、一気に紹介、22点。

1965年9月7日号
1965年11月30日号
1966年2月15日号
1966年11月22日号
1967年8月22日号
1967年10月10日号
1967年11月7日号
1967年12月12日号
1968年1月16日号
1968年2月20日号
1968年3月19日号
1968年5月28日号
1968年6月25日号
1968年7月23日号
1968年9月3日号
1968年10月22日号
1969年6月24日号
1969年8月5日号
1969年9月23日号
1969年11月4日号
1969年12月2日号
1970年3月3日号

きらめく瞳のパワー……。とくに1967年秋ごろの表紙は、MAKOTO画を極力際立たせるかのように、文字情報が少ない。MAKOTO画がとてもとても人気が高かったことがうかがわれます。


真琴先生は、少女まんがの世界の巨星だったと思います。

1990年代後半〜21世紀に入って、次々と本が出されたり、『ブルータス』の表紙を飾るなど、再評価の波があったように思います。

ゴスロリファッションの女の子を、たぶん、90年代の渋谷で最初に見たとき、ooiは「あんりゃー、生ける真琴先生の少女?」と衝撃を受けたものでした。

独自の世界を築いた高橋真琴先生の絵、少女まんがの世界にとどまらず、今後、さらに再評価されることを祈ります。


さてさて……1960年代後半の『週刊少女フレンド』、表紙は真琴先生のロマンチックな女の子だったりしましたが、シメの巻末には楳図かずお先生のトラウマ級作品がほぼ毎週のように掲載されていました。

●『週刊少女フレンド』掲載の楳図かずお作品(1965年~1968年)
「ねこ目の少女」
「百本めの針」
「ママがこわい!」
「まだらの少女」
「あなたの青い火が消える」
「紅グモ」
「へび少女」
「人魚ものがたり」
「黒いねこ面」
「楳図かずお先生の怪談 第一話「悪夢」」
「楳図かずお先生の怪談 第二話「鬼ばば」」
「楳図かずお先生の怪談 第3話「とりつかれた男」」
「楳図かずお先生の怪談4「人食い雪」」
「ミイラ先生」
「人こぶ少女」
「ふりそで小町★捕物帖」
「赤んぼ少女」
「影姫」
「まぼろしの蝶」
「うろこの顔」

恐怖まんが〜ダークファンタジー〜は、少女まんがの世界の重要なファクターとなりました。

楳図かずお先生もまた、少女まんがの世界の巨星のおひとりだと思います。

真琴先生に先立つこと二十日ほど、楳図かずお先生も永眠されました。
謹んで、ご冥福をお祈りいたします。



最後に、『週刊少女フレンド』増刊号の楳図先生の表紙を……。

1987年4月1日号

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