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初声流域 ノカンゾウ探検レポート

神奈川県三浦市。三浦半島最南端、三方を海に囲まれた小さな地方自治体だ。なかでも三崎町(三崎港あたり)は「みさきまぐろきっぷ」や「ミサキドーナツ」などで有名だろう。

古くは「三浦大根」かな。台地や平地に畑が広がる近郊農業の地だ(もちろん、漁業も……)。

あ、しまった。一番有名なのは、鎌倉時代の武将、三浦道寸や和田義盛かも。教科書レベルの話だし、遠い昔すぎて失念……大昔のお殿さま、お許しくださいまし。

最寄り駅は京浜急行久里浜線の終着駅「三崎口」。この駅は三崎町ではなくて、初声町(はっせまち)にあるので、「三崎“口”」というわけなのだが(駅から港まで、バスで15分かかります)……。

初声(はっせ)は、わたしの生まれ故郷だ。おぎゃーと生まれたのはおとなり横須賀市の病院だけど、0歳から22歳までお世話になった地域である。

大学卒業後、都心部ほかで暮らし続けて30年あまり。数年前、初声町三戸と接する三崎町小網代の「小網代の森」を初めて訪れて、びっくり。「小網代……なんていいところなんだ! そのとなりの初声も、三浦市も、じつはすんばらしいところだったのか!!」とふるさとを再発見する。緑と川と海と富士山と澄んだ空と畑と……。

また、このとき、「小網代の森」保全をリードする「流域」(注1)思考活動家+生物学者・岸由二博士に出会い、いろいろ話を聞いて感銘を受ける。元・地元民としての長年の疑問「三崎口駅から油壺に京急線が延びるって聞いてたんだけど、どうなっちゃったの?」に対する答えを、詳しく話してくださったのだ。

このあたりのことは、フェイスブックのノート「三浦半島/小網代の森へ」(長文注意)2015年8月9日」に書かせていただいたので、そちらをご覧いただけるとありがたく……。

あるいは、『「奇跡の自然」の守りかた: 三浦半島・小網代の谷から』 (岸 由二 、柳瀬 博一 ・著、ちくまプリマー新書、 2016年5月)という「小網代の森」守り人たちの著書もあって、もちろん、こちらのほうがさらにさらに詳しい。

ここ数年、わたしは実家に帰る都度に小網代の森を歩き、そこから農道を歩き伝って実家に到着……というようなことを多々するようになった。子どもの頃には歩いたこともない小道をたくさん歩いた。

このレポートは、そんなわたしのふるさと再見の小さな旅……あんど、小網代の森へのささやかな応援であり、岸由二先生の現地特別講義録であったりします。


花さく小網代 花さく三浦 初声ノカンゾウを探して

ハマカンゾウ(浜萱草)は、夏(7月~8月)、オレンジ色の百合のような花を咲かせる、目立つ派手なお花。英語でDaylilyといい、花は一日だけ咲くという。

現在、「ハマカンゾウプロジェクト」として、小網代の森の浜辺に大群生が育ちつつある(注2)。美しい。一見の価値あり! (トップ画像が、今年8月の小網代ハマカンゾウ群生です、「特定非営利活動法人 小網代 野外活動調整会議」フェイスブックより)

ノカンゾウ(野萱草)は見た目はハマカンゾウそっくりだけど、花の咲く時期が少し早くて、初夏(6月~7月)。どちらも、かつて、日本の浜辺や野山に自生していた在来種だ。

だが、ノカンゾウは、『神奈川県植物誌』(2018年電子版)(注3)によると、三浦市域にはほとんど見られない。とはいえ、最近、小網代の森の奥深く、一株だけあやしい株が残っていたのを岸由二先生が確認したそうだ。

アレチウリ(荒れ地の瓜!)など、日本の野山がさまざまな帰化植物で覆われる現在、絶滅危機かもしれない三浦市域の在来種、ノカンゾウ。だが、小網代の森に一株残っていた。としたら、たとえば、初声あたりに、まだ秘かに自生するノカンゾウがあるかもしれない。

7月のある薄曇りの日、広々寂寥とした京急三崎口駅前。そこに、岸先生、岸先生の長男ひろあきさん、大井の3人が集合。生物学者、ナチュラリスト、地元農家の娘(&ライター兼編集者)という即席ノカンゾウ探検隊が誕生。即席なんだけれども、実は、細い見えない糸が遺伝子のように繋がれてるかもしれない探検隊なのだ。

岸先生の母方(新潟出身・関沢姓)のご先祖さまは、鎌倉時代の和田家の家臣だったのではないかという。八百年前には初声町和田のあたりに住んでいた可能性もあるらしい。大井家は少なくとも鎌倉時代から初声町下宮田で農家をしていたと伝わる。なので、「八百年さかのぼれば、親戚だな」(岸先生)という。

えっそんな……発想ってあり??……最初はびっくりしたのだけれど、言われてみると、大昔だと思っていた鎌倉時代が、急に身近に思えてきた……。

初声の地に住む人間が数えるくらいだったであろう鎌倉時代、関沢家と大井家のご先祖さまは、初声流域に広がる田園地帯で、お米を一生懸命つくっていたかもしれない。なにせ人が少ない。その地の人々は、みんななんらかの血のつながりがあったにちがいない。だから、親戚(?)探検隊かも……。

……と勝手に想像しつつ、約八百年後の現在。

古き親戚(?)即席ノカンゾウ探検隊は、駅前の丸石自動車さんでレンタルした軽乗用車に乗り込んだ。ひろあきさんの運転で、初声流域を中心に三浦市巡回の旅へ。幻の初声ノカンゾウを探し出すために。

まず、初声流域・変形二等辺三角形の底辺、西の分水嶺にあたる三崎口駅から坂をくだる(上記地図、岸先生が作成してくださいました)。南下浦断層帯の走る細い農道の土手をチェック。だが、見当たらない。美山ホーム近くを通り、来福寺のある鹿穴(しゃあな)へ。

6月初頭、大井はこの鹿穴の道端で、オレンジ色の百合のような花を目撃したのだ。すでに記憶がぼんやりしていて一重の花か、八重の花か、忘れてしまった。鹿穴台と国土地理院の地図にある丘の麓だ。

その麓に行く途中、ややのや! 鹿穴集落の入り口にあたる道端に、なんと、オレンジ色で、もしゃっとした百合のような花が咲いている。2~3センチの細長い幅で、20~30センチの長い葉が密生した地面から、すっくと70~80センチ伸びたところに。派手な色なので、気をつけていれば、すぐに目に入ってくる。

が、残念。ノカンゾウではなく、ヤブカンゾウだった。

「こういうね、人が住んでいる近くにヤブカンゾウはあるんですよ。ハマカンゾウやノカンゾウは一重の花びらだけど、ヤブカンゾウは一部のおしべが花びら状に変形していて、八重の花。三倍体といって種ができないタイプだから、根を伸ばしてどんどん増えていく。大昔に人が植えて、刈り取ったり、抜いたりせずに残してきた証だよね」と岸先生。

ヤブカンゾウは、ノカンゾウ、ハマカンゾウと同じくワスレグサ属で、ノカンゾウの仲間だ。実をつける在来種のハマカンゾウやノカンゾウと違い、大昔、中国から人の手で運ばれ、植えられたらしい。


カンゾウは見て美しい、食べておいしい、リラックス

……ここでカンゾウ基本情報とうんちくコーナー。動植物は好きだけど、門外漢のわたしがノカンゾウを理解するまでのハードルを記します。

まず、ハマカンゾウ、ノカンゾウ、尾瀬ヶ原のニッコウキスゲ、さらには立原道造の第一詩集「萱草に寄す(わすれぐさによす)」のユウスゲなどは、すべてワスレグサ属。日本の在来種「わ・す・れ・ぐ・さ」と呼ばれる。

明治の文明開化の時代に渡来した帰化植物で、青い小花の「忘れな草」「勿忘草」「わ・す・れ・な・ぐ・さ」ではない。べつものなので、お間違いなきよう。

江戸時代までの日本の古典文学に「忘れ草」はしばしば登場するが、「忘れな草」はないという。

たとえば、万葉集。

「忘れ草 わが紐に付く香具山の 古りにし里を忘れむがため」(大伴旅人)

現代語に訳すると、「忘れがたいことも忘れてしまうといわれる忘れ草を、わたしは自分の腰紐につけている。香具山の見える、懐かしいわがふるさとを忘れるために」。

年老いた旅人が太宰府にあって、ふるさと明日香を偲ぶ、深い望郷の歌なのだそう。万葉の時代は、春に芽吹く若菜のことを「忘れ草」と詠んでいて、初夏のオレンジ色の花ではないらしいのだが、この歌、くり返し声に出して読むと、なんだか、胸がぎゅんとしてくる。

万葉集などで詠まれる忘れ草は、ヤブカンゾウといわれる。中国原産の史前帰化植物で、いまでも道端や土手にけっこうあったりする。探検隊が最初に出会ったのも、このヤブカンゾウだった。

日本の「史前」っていうのは、古墳時代以前というのが定説。なので、少なくとも千五百年前ぐらいまでにやってきた帰化植物となる。日本が大量に中国の文化を取り入れた飛鳥・奈良時代あたりからの古い帰化植物というわけだ。

で、日本列島がほぼ現在の形になったのが約二万年前。だから、「日本の在来種」ハマカンゾウ・ノカンゾウ・ニッコウキスゲ・ユウスゲなどのカンゾウさまたちは、日本に稲作が入ってくる前、たとえば、六千五百年前の縄文海進の時代には、日本の浜に、野に、山に、ふつうにたっくさん咲き誇っていたはず(と、岸先生の受け売り)。一重のシンプルな花が、ヤブカンゾウとちがって、なんとも日本っぽい。

はっ、ここで、カンゾウって「甘草」と書いたりするよな、と気がつき、なにがなんだかまた、わからなくなった。

ぐぐってみると、甘草はマメ科の植物で、これまた、べつもの。外来種だ。花は小さく、葉は丸く、全然形が違います。江戸時代あたりから漢方薬として利用され、栽培されてきた。そうか、甘みがあるという点で、ワスレグサ属と混同しちゃうのかもしれない。

そう、ハマカンゾウ、ノカンゾウ、ヤブカンゾウ……カンゾウさまたちは、花も葉も根も、食用できる。とろっとした甘みがあり、おいしいのだそうだ! 台湾や中国では「金針菜(きんしんさい)」という高級食材だとか。

しかも、リラックスして眠りを誘う薬効があり、たぶん、それ故に、「憂いを忘れる草」と書いて「忘憂草」と中国では呼ばれ、日本では「忘れ草」として定着したのでは……と岸先生はいう。

一度眠って起きてみると、確かによきこともあしきことも、こまかいことは忘れてしまうので(わたしだけじゃないよね? みんな思いあたるよね?)、めちゃめちゃ納得。

……といわけで、整理してみよう。

カンゾウさまは、見て美しい、食べておいしい、リラックスして眠りにおちる……しかも暑さ寒さに強く、日本の土壌に適した、たくましい野生種なのね、と。万葉集など日本の古典文学にも「忘れ草」として、しばしば登場(おもに恋愛系)……と、どれをとっても、カンゾウさまは、すばらしい。不眠症に悩むうちの家族に食べさせてあげたい……。

↑上記写真は、2017年夏、少女まんが館(東京都あきる野市)近くの土手に咲いていた、たぶんノカンゾウ群生なり……いまはなぜか消滅(盗掘?除草剤?)。

さてさて、長く寄り道してしまったが、もとにもどります。

探検隊は、鹿穴ヤブカンゾウ発見後、6月に大井が見つけた鹿穴ノカンゾウかも?現場へ。なんと、そこは土手が削られ造成中。近くの荒れ地に根こそぎ掘られた、直径30センチほどの植物が2、3個、ゴミのようにごろんごろんところがっている。細長い葉にびっちり密生した根。ノカンゾウ?

「うーん、根にこぶがないね。アガパンサスかもしれない……」と、寡黙なひろあきさんがつぶやく。

またしても、残念。初声ノカンゾウは幻のまま。とはいえ、もしかしたらノカンゾウかもということで、岸先生が救出し、プラスチック袋に入れた。

お次は、車を駐車して、3人で鹿穴台の頂きに登る。車が入れないのだ。丘の頂にある畑の畔があやしいと踏んでいたのだが……。オレンジ色の花はなかった。

が、山の西側に連なるある人家の庭先、鉢植えの中にノカンゾウがあった。やった! 朱色っぽくて、濃い色。まさしくノカンゾウだと、岸先生。ほかにもいろいろな花が咲き乱れるこの家の庭先。近くに咲いていたノカンゾウを移植したのか、あるいは、どこか遠くから移植したのか、どちらかわからない。うーむ、幻の初声(鹿穴)ノカンゾウなるか? 次の機会に、大井はこの人家を訪ねて聞いてみようと秘かに思う。


妙音寺に初声ノカンゾウ?

次は、三崎口駅の下に広がる住宅地、沓形・飯盛へ向かう。初声流域の南端エリアだ。庭付き分譲一戸建ての家が数百世帯、家が途切れた谷の奥に妙音寺という真言宗のお寺がある。そこから旧・三崎高校のグランドへ抜ける小道が伸びる(車は無理)。このあたりは、三崎口駅ができる以前、うっそうとした深い谷と森だった。

「お寺とかにね、残ってる場合が多いんですよ。ノカンゾウってね……あ、あったあった」と岸先生。ゆっくりとはいえ車のスピードで野外を眺めるだけで、ノカンゾウを発見。すごい。

妙音寺は山肌にお寺があるのだが、麓の平地を造成して、新しくいろいろな仏像やベンチやトイレをつくってある。そこの新しい大きな仏像「迦陵頻伽(かりょうびんが)」を囲むように、オレンジ色というよりは山吹色の百合状の花がいくつも咲いていた。

(おお、初声ノカンゾウ発見せり!)と、心躍るわたし。さっそく車を停めて、近くまで歩き、観察。

「うーん、でも、色が黄色すぎる……園芸種かな」と岸先生。

「園芸種かもしれないですね」とひろあきさん。

(えっ、違うの? ダメなの?)とわたしの心の声。

「でも、ほら、このね、花びらの先が尖ってるでしょ。これは野生種の特徴なんだよね」と、岸先生。

うーむ、つまり、初声ノカンゾウかもしれないし、どこか違う場所から持ってきたのかもしれないし、真偽のほどはわからない。のちほど住職さんに聞いてみようということになる。

妙音寺は、進取の気概に富んだお寺で、ホームページもある(注4)。裏山に自生するヤマユリを守り、植栽をして増やしていたりする。ということは、山に自生していたノカンゾウを「迦陵頻伽(かりょうびんが)」さまのまわりに移植した可能性は高い。初声ノカンゾウの希望ここにあり。

と、気をよくして、旧三崎高校グランドへ抜ける暗い小道を走る。初声流域の最南端、引橋方面へ。

「あ、ある」とひろあきさん。西側の土手にボリューム感あるオレンジ色の蕾が……。たぶん、ヤブカンゾウだろうとひろあきさん。うむ、ヤブカンゾウ、けっこう咲いている。



この小道から鈴木水産の店(まぐろなど魚が新鮮でおいしくて安い!)へ抜けることができる、とわたしは思っていたが、大間違い。できないのだった。道が分断されていた。Uターンして、初声流域東北エリアの高円坊へ向かう。

途中、沓形の住宅地のある家の庭先に、黄色い百合状の花が顔を出していた。すでに時間は午後二時過ぎ。

「あ、ユウスゲ。これは、花びらの先が丸いでしょ。園芸種のユウスゲかもね。ユウスゲは黄色で、昼過ぎから夕方に花が咲くんだよ」(岸先生)。

ふむふむ、なるほど。儚げで、きれい。夭折の詩人、立原道造……。


ヤブカンゾウの大群生を発見!


車はゆっくりと走る。六千五百年前はたぶん海で、五十年前は田んぼで、今は一面畑の初声流域中心部。丘の麓、小谷戸(こやと)エリアの小道へ入る。

「このあたり、あやしいのでは?」とわたし。

よく見ると、なななのなんと、高さ2メートル長さ30メートルぐらいの土手に、細長い葉が刈り取られ、重なり合い、続いている。

「おお、カンゾウだね」(岸先生)。<br>「ああ、高刈り(草刈り)されているね。この時期に刈られちゃうと、調査の時に見逃されるてしまうなぁ」(ひろあきさん)。

クールなおふたり。わたしはうれしくて腰が浮いちゃっている。

3人、車を降りて、近くで見学。刈られた細長い葉の中に、オレンジ色がかった蕾がいくつか混じる。カンゾウである。蕾のひとつを拾いあげ、一枚一枚、花びらを開く先生。

「これで6枚ならノカンゾウ、6枚以上あればヤブカンゾウ……1,2,3,4,5,6,7……ヤブカンゾウだね」(岸先生)

残念。初声ノカンゾウはまたしても遠のく。だが、ヤブカンゾウが大群生する土手を見つけたことじたい、大発見と岸先生。やった、やったぁ。

「つぎは、武山のほうへいこう」(岸先生)。初声流域東北端、三浦アルプスの麓へ向かう。この麓は、目前に武山、後ろ西側を見ると、富士山が雄大にそびえる絶景の場所だ。

……が、オレンジ色の花は見当たらない。道を右に折れ、坂道をくだる。

「あ、あった」とひろあきさん。彼の目は、速い! さすがナチュラリスト!! 京急津久井浜駅手前、曲がり角の道端に立つバックミラーとコンクリート電信柱の足元に、オレンジ色の花が……。ヤブカンゾウが2輪、咲いていた。

頃はお三時。東京湾沿いの海岸通りへ。ミニストップで休憩。コーヒーでコンビニカフェ。素敵で便利な時代になったなぁと思う。これからは初声流域を出て、剣崎のほうを通り、小網代のSさん別荘のハマカンゾウを見に行こうと決まる。

そして、長い砂浜の三浦海岸沿いを走っていると、道端にオレンジ色のもしゃもしゃした花々が……おお、ヤブカンゾウの小群生あり。もはや、わたしの目も、カンゾウの花にフォーカスされ、一重か八重かを一目で判断できるほどになってきた。

ヤブカンゾウ、わりと、気をつけて見ると、あちこちに咲いているのだなとしみじみ思う。


「こんな海の近くにヤブカンゾウが咲いているなんて、初めて見たな。強健な植物だから、どこでも大丈夫なんだよね」(岸先生)。

潮風に強くあたると、ふつうの商品野菜はほぼ枯れてやられてしまうが、カンゾウさまは大丈夫なのかぁ……すごいこっちゃ。


ハマカンゾウの大群生も発見!

海岸通りから坂をのぼって畑が広がる台地、柳作へ。また、ゆっくり坂をくだり江奈湾へ。江奈湾はちょうど干潮時で、湿った土の干潟が広がっていた。海と緑と土の風景。和む。毘沙門へ抜ける途中、ひょいと脇道に入る。

「このあたりにあったはずだから……」とひろあきさん。ひろあきさんは、どうやら以前、このあたりを歩いたことがあるよう。のぼり坂の右土手、高さ3メートル、長さ20〜30メートルほどの一面に、細長い葉っぱが密生している。カンゾウの群生らしい。車を停めて降り、3人で観察。

「ほんとだ、ハマカンゾウだよ。ひろあきさん、よく覚えていたなぁ。ほらね、みて、大井さん。こうやって、カンゾウはグランドカバーになるんですよ」(岸先生)。

ところどころから、違う植物も生えていたけれども、地面はみっちり20〜30センチの細長い葉に覆われている。

「きちんとお世話して増やしていけば、カンゾウはグランドカバーになって、ネズミホソムギやアレチウリなどの外来種が入り込む余地がなくなるんですよ。ネズミホソムギは、じつはかなりきつい花粉症の原因植物だから、花粉症対策にもなる」(岸先生)。

なるほど。なんだか、すごい。

もとの道に戻り、三崎港をまわって東岡バスターミナル脇を通り、バス道路を北進(わたしが半世紀以上前、遠路はるばる通っていた二葉保育園時代の通園ロード!)。道は緩やかなのぼり坂だ。

三浦市一番の高台エリア、引橋。ここに最近オープンした巨大スーパー、ベイシア駐車場へ入る。すでに小網代保全スタッフのSさんたち2人が待機していた。彼らと合流。車2台で三戸集落を巡回し、小網代のSさん別荘へ向かう。車1台がやっとの細い細い坂道をくだり、どんづまりに駐車。5人で海沿いの小道を歩く。

と、小道と岸壁の境目に青々とした細長い葉が密生している。

「これ、ハマカンゾウだよ」(岸先生)。

潮風どころじゃなく、嵐には海水にどっぷりつかりそう。だけど、めちゃくちゃ元気な葉っぱで、ハマカンゾウの強健さを目の当たりにする。

いま……小網代の森から小網代湾の向こうに見えていた、断崖絶壁の海辺の、別世界な別荘地帯を歩いているんだな……と思っていると、Sさん別荘へ到着。白い木製外壁に青い屋根、水色の雨戸。手づくり感あふれた二階屋で、美しい。ペンキで塗った風なのだ。

「きれいですね、この別荘。ペンキ塗ってあります?」とわたし。<br>「そっ。ぼく、ぼくが塗ったの」と大きなSさんが、にこにこして答えてくれた。すごい。ど根性がないと、こんな大きな家の外壁をペンキで塗ったりできません。

その別荘の玄関脇、土管のような巨大な鉢に、カンゾウの葉というには幅広い、10センチ近い幅、50〜60センチの長さの葉が密生している。緑色がとても濃い。

「裏山になんか生えてるのをここに植えて、むちゃくちゃ肥料あげているの。葉を刈るとまた生えてきてね。年に3,4回花が咲くのよ。オレンジ色の。きれいだよ。ここは霜が降りないから。そのせいかもしれない」と、別荘を借りている男性のお言葉。焦げ茶の髪に、耳の青いピアス、濃紺の服がおしゃれだ。

どうやら小網代のハマカンゾウが、別荘で人の手により栽培され、巨大化多開花しているということみたい。野生種が園芸化していくとは、こういうことなのか。

その後は、小網代の森のとなり「ガンダ」と呼ばれる入江を散策。ベンケイガニがつとつとと出てきたり、岸壁にぽっかりあいた大きな穴は特攻爆弾ボート「震洋」の格納庫だったと教えてもらったり……。ほかにもいろいろ知らなかった事柄が次々注入され、大井の頭はパンク気味……。

すでに時間は午後6時。レンタカーは7時までとのこと。

「黒崎の鼻のハマカンゾウの群生に紛れて、ノカンゾウがあるかもしれないけど、今日は、もう、無理だね。また、今度」(岸先生)。

ノカンゾウ探検隊は、三戸の御用道路(注5)を通り、三崎口駅前の丸石自動車へもどった。店はすでに閉まっていて、無人! 無人野菜売り場はよくあるけど、ここは無人貸し自動車売り場になっていた。つねにクールなひろあきさん、そう驚きもせず、店頭の扉前に車を駐車。水色の真鍮っぽいおしゃれなポストに、かしゃんと鍵を入れる。

「おつかれさまでした!」(大井)<br>「今日はヤブカンゾウをたくさん発見できましたね」(ひろあきさん)<br>「では、今日はこれで」(岸先生)

午後6時半過ぎ、古き親戚(?)即席ノカンゾウ探検隊は解散した。

↑暮れなずむ小網代湾……天使の階段が!


地球とつながる、浄土は足元にある

(ああー、おもしろかった)と思いつつ帰り道、ひとり大井は京急線に乗り、今日の反省。ええと、鹿穴のあの人家にもう一度行って、鉢のノカンゾウのことを聞く。妙音寺にもう一度行って、寺の人にノカンゾウのことを聞いてみると。黒崎の鼻にも行ってみると。実家里帰り時が、忙しくなりそうだ。

がたごとがたごと、京浜急行に揺られながら、わたしは「地球とつながる、浄土は足元にある」という岸先生の教えを思い出していた。

生まれてから22年間、わたしはこの三浦・初声の地に暮らしていたけれど、一体、なにを見ていたのだろう? と思う。なにも見ていなかったような気がする。少なくとも、足元に広がる大地をしみじみ見たことはなかった。当然、そこに生える植物も。ノカンゾウもヤブカンゾウもまるで知らなかったし。

だけど、今日、実家を出て36年、ふるさと初声再発見の旅。できれば、初声ノカンゾウ、なければ、小網代ハマカンゾウをいただいて、実家大井家の耕作放棄畑(面積は1アールほど)に植えて増やし(これぞ「ハマカンゾウプロジェクト!」)、オレンジ色のカンゾウ野原にしよう! と、秘かに誓う。

頭の中には、初声流域の一角に小さなカンゾウ野原が生まれ、それが少しずつ、耕作放棄畑や空き地荒れ地に飛び火。広大なオレンジ色のカンゾウ大海原となっていく風景が、ぽっかりと思い浮かんできた。

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●注1
流域:
「水系に雨水が集まる大地の範囲のこと」<br>『「流域地図」の作り方: 川から地球を考える』(岸由二、ちくまプリマー新書、2013年)より

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分水嶺によって限られ,一河川水系に流水を供給する範囲の土地。降水が表流水となって集ってくる範囲全体をさす。(「コトバンク/流域/『ブリタニカ国際大百科事典』」より)

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『流域』とは?
その地形により降った雨が水系に集まる、大地の範囲・領域のことです。流域は、雨降る大地が自ら刻んだ水循環の単位であり、大地の細胞のような広がりです。また、生物多様性のまとまりのよい自然生態系でもあります。そのため、人が任意の区画で分割し、設置した「行政区」による大地の区分け方とは全く異なるものです。『流域』は、自然の地形の必然に沿った大地の区分け方となります。(各流域の境界線を「流域界」または「分水界」と呼びます)(「エコシティたかつ/『流域』とは?」より)<br><a http://www.city.kawasaki.jp/takatsu/cmsfiles/contents/0000035/35881/about_watershed.html

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初声流域:
神奈川県三浦市初声町を流れる一番川に注ぐ流域。三浦アルプス・武山の麓を頂点(北東端)、相模湾に面した黒崎の鼻(西端)から引橋(南端)を底辺と見立てると、おおよそのだいだい変形二等辺三角形のような形。約290ヘクタール。2017年9月28日の集中豪雨で海沿いの低地(潮風アリーナ近辺)が冠水、土砂が溢れ出た。典型的な小流域水害にあったエリア。引橋付近で「小網代の森」浦の川流域と接している。
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●注2
小冊子『花さく小網代 花さく三浦 ハマカンゾウプロジェクト(花さく小網代 ハマカンゾウガイド)』(NPO法人小網代野外活動調整会議、2019年) 表紙と奥付(ぷうぷうがかわいい!)


NPO法人小網代野外活動調整会議

ハマカンゾウからウンラン保全等につなぐ生物多様性
東芝ライテック株式会社
http://5actions.jp/conserve/toshibalightech/

DNPテクノパック横浜工場
生息域外保全を進めるユリ科植物「ハマカンゾウ」を森へ返還

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●注3
『神奈川県植物誌2018  電子版』

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●注4
高野山真言宗 飯盛山 妙音寺

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●注5
御用道路:
昭和初期、初声御用邸が計画された折に、水戸エリアにつくられた道路。御用邸敷地は黒崎の鼻から三戸浜~小網代湾沿岸を予定地としていたが、計画後一年足らずで延期され、中止された。

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「昭和初期の三浦半島小網代湾における初声御用邸計画について」(武田周一郎)


2019年8月19日 記


楽しく、おもしろく、正直な記事を書いていこうと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。