生き甲斐とラッキョウ、そして、雲ノ平。
扇谷正造(文明評論家)
生き甲斐とは何か?
座して生き甲斐を論ずることは、ラッキョウの皮をむくに等しい。
ラッキョウとは何か?
一枚、皮をむいてみた。やはりラッキョウである。
ラッキョウとは何か?
また一枚皮をむいた。依然としてラッキョウである。
ラッキョウとは何か、を知りたかったら、ガブッとかじってみることである。
やはり、生き甲斐とは行動の中から生まれてくるものだろう。
人によって生き甲斐はそれぞれ違う。
恋する若者は恋人が生き甲斐だろうし、事業家は事業の拡大かもしれない。
ところで、私の生き甲斐は何なんだろう。
改めて考えてみると、「これが生き甲斐だ」いうものを即答できない現状だ。
じゃ、夢がなくなったのか・・・そういうわけでもない。
夢はまだある。
それは、もう一度、雲ノ平に登ってみたい。
山へ登るのは、決して楽なことではない。
全身に汗をかき、あえぎながら薄暗い樹林帯を登っているとき「なんの為にこんな苦しい思いをして、この急登でもがいているのか?」と自問するときがある。
しかし、樹林帯からハイマツ帯に出ると、天井が抜けたかと思う空と、見渡す限りの山々に出会う時の感動!
岩陰にたたずむ高山植物の小さな花の歓迎を受けたとき、それまでの疲れは青い天の中に吸い込まれていく。
生きていて良かったという瞬間である。
その時の思いは、いつまでも忘れないものだ。
自分にとって、これが生き甲斐のひとつだと心底思う。
その歳ではもう無理だろう・・・なるほど、そうかもしれない。
でも、剣や槍や大キレットなら無理だろうが、雲ノ平なら行けると思う。
行程に時間がかかるだろが、慎重に行けば走破できる。
そうだ!来年の夏は、雲ノ平へ行こう!
(早朝の高天ヶ原)
(水晶池)
(雲ノ平)
(黒部五郎岳-雲ノ平からの展望)