何を想うか・・・甲羅干しの亀よ
久しぶりに久伊豆神社に行ってきた。
伊豆がつくけど、伊豆ではない。
よって、旅をしたわけではない。(コロナ禍の弁明)
自転車で30分ほどの場所だが、徳川家康がしばしば鷹狩りに来たというから、その昔は武蔵野の原野だったのだろう。
平安時代に創建されたといわれる久伊豆神社の池のほとりのベンチにすわる。
5月の空は晴れ渡り、水面は陽の光で銀紙の皺のようにキラキラと輝いていた。
ふと見ると、池の中央のほこらのあたりに、50~60匹以上の亀が甲羅干しをしている。
他の亀の背中に乗っているのは、きっと足の方まで乾かしたいためなのか・・・。
「鶴は千年、亀は万年」といわれているが、調べてみると鶴は20~30年、亀は100~200年だそうだ。
亀の顔を見ながら、ふと考えた。
「彼らは、いったい何を考えながら日向ぼっこをしているのだろうか?」と。
彼らはこの池から一歩も外に出ることなく、100年以上も同じことを繰り返しして生きている。
思うにきっと、彼らは自分の人生を達観しているに違いない。
昨日を振りかえってみるでもなく、明日をどうして生きようかなんていう心境から離脱している仙人の心境だろう。
ただただ、今日の今、したいと思うことをしているに過ぎないのかもしれない。
明日は重要ではない、今の踏み位置、すなわちこの陽の当たる場所が重要なのだ・・・と考えているかどうか、直接聞いたわけではないので、私にはわからん。
共感していることは、明日を思い煩わないで、今日に生きようということだ。
教訓:Bible(マタイ 6:34)
<この故に、明日のことを思い煩うな。明日は明日みづから煩わん。一日の苦労は一日にて足れり。>