昭和のプロレスは
昨年の10月にアントニオ猪木が死んでしまった。ジャイアント馬場は98年に死んでしまった。私が見てきたプロレスはなくなってしまうのかな?
ジャイアント馬場とアントニオ猪木は日本プロレスから見てきた。日本プロレスは力道山が作ったプロレス団体だった。日本が敗戦でアメリカ人に劣等感を抱いていた時代だから力道山がアメリカ人に最終的に勝つということが心地よかった。本当は力道山は日本人ではなく、北朝鮮の人だった。力道山は自分のルーツを隠していた。日本の社会はアジアの人達を差別していた。
力道山は相撲取りをやめてプロレスに変わった。どうして相撲取りを辞めたかは、相撲は日本の国技だから日本の国籍がなければ強くても横綱にはなれなかったんだ。昔の高見山も曙も親方になれなかった。
昭和のプロレスの選手は相撲取りを辞めた人達が多かった。プロレスは見世物という歴史があるんだ。
相撲も昔の日本は見世物扱いされていた。貧乏人の男の子がご飯を食べるために相撲取りになっていた。
2月21日火曜日東京ドームで武藤選手の引退興行があった。パソコンで見た。凄い良い試合だった。興行も良かった。力道山は引退興行をしていなかった。アントニオ猪木は東京ドームで引退興行をした。
プロレスの選手は差別された人達が多いよ。
アントニオ猪木もジャイアント馬場も家が貧乏だった。長州力も前田明も家が貧乏だった。だからハングリーだった。昭和のプロレスの選手は殆どハングリーだった。