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プロレスリング・ノア

昔からプロレスを観ています。
ジャイアント馬場が1999年に死んだのです。
1960年にプロレスデビューしたのです。
全日本プロレスは1972年に作ったのです。
アントニオ猪木は2022年に死んだのです。
1960年にプロレスデビューしたのです。
1972年に新日本プロレスを作ったのです。
60代からの男性はプロレスファンが多いと思います。
私はまだ中学生だったので、真剣に観てしまっていました。
あんな身体で真剣に試合していたら怪我をしたり、死んだりしているだろう。

昔の全日本プロレスの四天王の試合を続けていると選手生命が短くなっていくでしょう。新日本プロレスは三銃士が人気があったけど、それはアメリカの真似でした。アントニオ猪木は新日本プロレスのプロジューサーや企画を作っていたのです。それが上手くいけば良いけれど上手くいかなければ観客が暴動をしていたのです。
ジャイアント馬場はプロジューサーを自分ではなく、人に任せていました。
企画もプロレスの雑誌の人に任せていたらしいのです。
全日本プロレスは観客目線で企画を作っていたので新日本プロレスより人気があったのでしょう。全日本プロレスは王道プロレスと言われていました。ジャイアント馬場が還暦記念で東京ドーム大会をしたのです。東京ドーム大会が終わった後、ジャイアント馬場は亡くなったのです。
柱をうしなった全日本プロレスは今もトンネルに入っているのです。

2000年から全日本はインディー団体の仲間になっているのです。全日本のスター選手だった、三沢光晴が殆どの選手を連れて新しいプロレス団体を作ったのです。それがプロレスリング・ノアなのです。三沢光晴は日本テレビ系のCSの「ジータス」で大会を放送するようにしていたのです。全日本プロレスもCSの「GAORA」が試合を放送するようになっていました。新日本プロレスは朝日放送の地上波の深夜枠で放送していました。やっぱり資金力がある団体の方が良い試合が出来るし、良い選手が集まってくるのです。
良い試合をしていても観客が集まらなかったら儲からないのです。

今のプロレスラーは自分から発信力がなければいけないんだ。
プロレスリング・ノアの拳王選手や全日本プロレスの青柳選手や新日本プロレスの選手は上手すぎる。中嶋勝彦選手も昨年から自分から発信するようになったのです。ノアの団体にいた頃は自分から発信していなかったのに。
やっぱりフリーになれば自分から発信した方がいいみたいですね。
ノアも最初の頃はメジャー団体の仲間に入っていました。四天王の流れの試合をしていたのです。ジュニアの試合も面白かったのです。新日本プロレスのジュニアよりすごい試合をしていたのです。ノアのジュニアの丸藤選手が新日本プロレスのジュニアの全部の選手に勝っていたのです。丸藤選手が日本のジュニアで一番強かったのです。ヘビー級を観ても新日本プロレスは武藤敬司や橋本真也が新日本プロレスをやめてしまって、人気選手がいなくなったのです。それで地味だった永田選手をIWGPチャンピオンにして、若い選手を育てていたのです。棚橋選手や中邑選手や柴田選手が出て来るのを待っていたのです。全日本プロレスは三沢光晴が抜けたので選手が3人しかいなくなったのです。淵選手が新日本プロレスに行ったり他の団体に行って選手を貸してほしいと裏工作をしていたのです。フリーの選手やインディー団体の選手が試合をしていたのです。それで新日本プロレスを辞めた武藤敬司や小島選手が全日本プロレスに入って来たのです。選手も増えていき、新人も入ってくるようになってきたのです。けれど、なかなか人気が元に戻らないのです。最近は全日本プロレスは王道プロレスからかけ離れてきています
もう王道プロレスを捨てた方が良いと思います。
プロレスリング・ノアはまだ昔の名残を残して、やっているので良いのです

これからのプロレスリング・ノアは新日本プロレスを追い越すために改革をすることが必要でしょう。全日本プロレスのような訳の分からない改革はしないで欲しいです。



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