見出し画像

日本の障碍者福祉

昭和33年に産まれ、今も生きています。これまでの事を思えば、よくこの年齢まで生きていると思ってしまいます。何も出来ない私が何もない田舎で何とか生きているのです。あの頃は地方では障碍者は身体障害者が主でした。家族が面倒が出来なければ病院や施設で面倒を看ていました。それは今も変わっていません。私の養護学校の友達や先輩は60代で亡くなっているのです。その亡くなった障碍者は親の言う事を聞いたり、周りに人達の意見をよく聞いて自分の意見をいわない障碍者だったのです。そう言えば彼達は自分道理の生き方をしてきたのだろうか?

昭和生まれの障碍者も社会に遠慮して生きていくように周りの健常者達に言われてきたのです。健常者も障碍者も同じかもしれないけれど、60代になって苦労はしたくないし、これからの人生をエンジョイしたいと思うだろう。気楽な気分で生きていきたいですね。私は若い女にセクハラもどきの冗談で遊びたいしね。時々お尻やオッパイを触りたいしね。まあね、人間関係が出来ている女なら許されるだろう。
昔の女性はそんなに怒らなかったのに。最近の女性はすぐ怒るし、賠償金を払えと訴えられます。障碍者であっても負けることもあります。今の時代窮屈になっていますね。私が電動車椅子であちこち行っていたころ人に声をかけて、缶コーヒーを飲んでいたり、トイレもしていました。
最近は人に声を掛けたらすぐ通報されるだろうね。これじゃ共生社会には遠いと思ってしまいます。

障碍者にはヘルパーが付いているものだと思っている人達も多くなっています。それは一部だけの障碍者なのです。
殆どの障碍者はヘルパーが付いていません。ヘルパー事業所には人材がいません。外出支援の工賃は安いから事業所が採算にあわないのです。身体介護と外出支援をあわさった利用者なら採算が合うのです。
重度障碍者で身体介護が必要だったら事業所もやるでしょうね。私は軽度な障碍者を使ってあっちこっちに行っていた時期がありました。制度がなく、介護者を集められない重度障碍者は軽度な障碍者と付き合って自立生活をしていました。軽度な障碍者も仕事がないのでやることがないのでちょうど良かったのです。軽度な障碍者は自分の事は自分で出来るので、健常者と同じ感覚で生きている奴が多いので障碍者でもなく、健常者でもない中途半端な存在でした。私はその障碍者を言い包めて介護者していました。交通費は出していました。自分が気が向けば食事をおごってあげました。宿泊代は二人分私が勿論出していました。要するに交通費と宿泊代は私が出していました。結果的にお互い様ということになります。

今はそんな事をする必要がありません。障害者の制度が整備されたのでね。
私は東京に行く時もヘルパーと一緒に行っています。そんな事はもう当たり前になっています。でも地方の障碍者はそんな制度があっても使わない人達が殆どなのです。なぜ使わないのだろう。不思議ですね。
せっかくいい制度があるのなら使った方が良いのにね。何のために障碍者団体が国に要求してきたのか分らなくなるのに。
今も昔も障碍者の親は「親亡き後」の心配しています。それはごく普通です。健常者の親も子供の心配をしているのです。健常者なら自分で手足が自由に動かされるからホームレスになっても生きていられます。身体障碍者がもしホームレスになったら1日で死んでしまいます。
ホームレスになった我が子を想像したら不安になるのは自然な事です。
だから親が生きているうちは「わがまま」を聞いて死んだら施設で面倒を看て貰うと安易な事を考えているのでしょう。これが日本の障碍者福祉の仕組みである。

いいなと思ったら応援しよう!