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障碍者団体

日本でも障碍者が運動を作っていたんだよ。だから今、障碍者制度があるようになったのです。地方の障碍者も当たり前のようにバスに乗れるようになりました。タクシーも普通料金で乗れています。                   
昭和の時代はバスや電車やタクシーは乗車できなかったのです。

公的な交通機関で車椅子障害者が乗車出来ないのは差別だと言う運動が広がってゆっくりと公的交通機関に車椅子障害者が乗車出来るようになってきました。 今は電動車椅子が支流になっています。それは自由に行きたい場所に自分で行けると思って。それは本当だろうか?
電動車椅子の構造を考えてみてください。電動というから電気で動いています。電気が切れれば動きません。だから遠方には行かれません。電気をいちいち充電をしなければいけないのです。セダン型の自動車には電動車椅子は載せられないのです。ワゴン車の自動車なら載せられます。
私も40年近く電動車椅子に乗っていました。だから良い所も悪い所も分かります。

ディ・サービスも作業所も親のために作られているのでしょう。
障碍者がいつも家にいれば家族の人が休まれないのです。
ディ・サービスは日中活動の場だとあります。重度障碍者は行き場がないから仕方がないので、国が予算を組んで、都道府県に分けて、ディ・サービスを作ったのです。作業所も同じような考えで作っています。
だから作業所は訓練の場なのです。親達が安心して昼を過ごしたり、仕事をしてもらうために国が認めたのです。
昔は障害児は就学免除で学校に行かなくても良かったのです。私より上の世代の障碍者は殆ど学校には行ってません。時々変わった親は普通の学校に行かせていました。自分の意志で行く人はいませんでした。
学校は何のために行かなければいけないのだろう?義務教育で良いはずだと思います。勉強がしたい人達が行けばいいと思っています。
義務教育はどんな子供で行かせて、後は自分の興味がある事をすればいい。
例えば料理に興味があれば料理の学校に行けばいい。宇宙が好きなら宇宙の事だけ勉強すればいい。
それが一番いいと思ういます。

大昔養護学校義務化反対闘争した障碍者団体があり、他の障碍者から白目で見られていたのです。社会を改革をするためには、強い行動するべき場面があるのです。それをしてどう変わったかは時代の流れが総括に任せればいいのです。
神奈川県横浜市で全国青い芝の会がバス闘争して、バスを止めた事がありました。その当時は車椅子障害者がバスに乗る場合、車椅子から下りて、バスの椅子に座らないといけなかったのです。おまけに介護者2人付けなけばいけなかったのです。普通に乗れる人は付き添いはいないじゃないか、障碍者も料金を出してバスに乗っているからお客になるからそんな条件は飲めないと言うのが全国青い芝の会の言い分でした。バスは誰でも利用できます。公共交通機関なので。バスに乗る権利はあります。
そんなこともあっても車椅子障害者がバスには乗れない時代が長く続きました。障碍者運動をしていると空しい気分になります。結果が得られないことが多いのです。
色んな障碍者団体があります。自己満足で終わってしまうのです。

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