京都の通りすべて歩く - 堀川通
京都の通りすべて歩く。13番目の通りは、堀川通。名前の通り川に由来があって、淀川につながる「堀川」が由来。かつては暗渠(あんきょ)として地中に埋めていたが、景観のために堀川を表面に出す活動などが行われている。
川端通、小川通、古川町通、宮川町通、今出川通、夷川通などと、川の名前を由来とした通りのシリーズの1つで、堀川通の由来は平安京の堀川小路まで遡る。
現在では、メジャーな通りとして扱われていて、バスが行き来し、一部区間は国道1号線として扱われている。
車道の真ん中には中央分離帯があり、かつてここに電車が走っていたことがなんとなくわかる作りになっている。
7月某日実施。堀川通の北限は、御薗橋付近から始まる。正確にはここからではなく、加茂街道との分岐ポイントが起点らしいのだが、なんとなく撮った写真。いまの時代に「ファミコン」と書いてある看板を見かけると少しうれしくなる。
堀川通の起点付近には、御土居(おどい)跡を見かけることができる。御土居とは、豊臣秀吉が築いた外部の敵から守るための土塁だそうだ。江戸時代になると、川の堤防の役割をしていたものを除いて無用の長物となってしまい、いまでは現存するものが少ないそうだ。京都には9箇所あるらしい。
日本最初の天満宮と呼ばれている「水火天満宮」。名前からわかり通り、水難火除にご利益がある。天満宮なので、菅原道真が神祭として祀られている。「日本最初の天満宮」というと、山口県にある「防府天満宮」も同じく「日本で最初に建設された天神さま」を名乗っているが、菅原道真のような歴史上の人気者でよくある、生まれた場所が複数あるといった現象の1つのようだ。京都の中にも「文子天満宮」(間之町通編で行った)では「天神信仰発祥の地」と言っていたりする。
なにはともあれ、水火天満宮は、当時の天皇である醍醐天皇が勅願で作ったものなので、そういった意味で「日本最初」という言い方をしているのだそうだ。
一条まで歩き進めると、晴明神社を見ることができる。一時期映画になったり、小説・アニメなどのコンテンツに事欠かさないためか、比較的多くの人がここに訪れている。境内には「一条戻橋」があるが、これは本物ではなく、かつての橋の柱を使って再現したものだそうだ。
なぜ晴明神社にあるかというのは、安倍晴明が使役する式神を橋の下につ回せていたという言い伝えから来ているそう。
一方で、堀川一条には現在の一条戻橋がある。なぜ、戻橋なのかという由来は、葬儀のときにこの橋を通ったときに棺にすがって祈ると、一時的に蘇ったという話から来ているそうだ。
あの世とこの世というみなされ方をされたりもしていたが、堀川から先が街の中心から外れていたために、本当の意味での別の世界として取り扱われていたのかもしれない。
一条を超えてすぐに、堀川商店街という昔ながらな感じの商店街がやってくる。ウェブページ上にある物語を読むとなかなか味わい深いものがあった。これを読んだ上で写真をよく見ると、上が住宅になっているのがわかった。これもかなり歴史的なものらしく、「日本で最初のRC下駄履き住宅」ということだそうだ。「RC下駄履き」の意味がわからなかったが、「下駄履き」というのは、1Fが商店になっていて、上のほうが住宅になっているという形式の住宅の事を指すらしい。
京都駅前にあるずっと気になっていたアパート。URの塩小路アパートと呼ばれるものだそうだ。1962年築で、エアコンの室外機がほとんど置いていないのを見て分かる通り、もう誰も住んでいない。解体が近いそうだ。サンルーフ(広縁)付き、2DKの間取り。駅チカ。屋上にはブランコやジャングルジムなど遊具がおいたあるスペースがあったそうだ。
https://www.homes.co.jp/archive/b-25251920/u-7216007/
御土居、日本で最初の天満宮である水火天満宮や、日本で最初のRC下駄履き住宅、西本願寺、そして解体されようとしている団地などなど、1000年スケールでの出来事に思いを馳せることのできる素晴らしい通りだった。
だいたい8kmくらい。
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