京都の通りすべて歩く - 丸太町通
しばらく仕事が忙しく、記事を書く暇がなかったが、再開していこう。
8つ目の道は丸太町通
現在の京都では大動脈的な道路である。西側は嵐山、東側は岡崎まで続くおよそ11kmほどの道となる。そのため、丸太町通については、2日間に分けて歩くことにした。
1日目 (6月某日)
今回は、西側 (嵐山) からスタートする。嵐山は全体的に渋い街で、こういう補導目標が作られていたりする。なんというか、昔ながらの手書き感があり、紙が緑色なのが素晴らしい。
嵯峨野小学校前から丸太町通がスタートする。
うさぎが可愛らしい交通安全の看板。これも、街の人達が書いたのだろうか。嵐山エリアには、街の人の創作が溢れている感じがある。
天神川には関西弁がすごい看板がある。ライオンズクラブは、なんというか石版とか、銅像とか、そういうお硬いものを作るイメージが(勝手に)あったので、こういう看板には少し驚いた。
基本的には、嵯峨野エリアは「郊外」で、道々にはホームセンターやら、車で入るのに適したレストランなどが立ち並んでいる。京福北野線と丸太町通が交わる点には「常磐(ときわ)駅」がある。
常磐といえば、漢字から見るに想像するのが「茨城」のほうのイメージがあるが、こちらは常陸(ひたち)+磐城(いわき)をあわせて常磐と読んでいる。
一方で、京都における常盤というのは、嵯峨天皇の皇子である源常(みなもとのときわ)が山荘を構えたのが由来とのことだ。
この近くには、神戸の高級めなスーパーであるIKARIがあって、そこで少し休憩した。何故か、京都の中では、ここと修学院の2箇所にしか存在しない。スーパー巡り好きとしてはマークしておきたい場所である。
この日は、この後少し歩いて、円町で止める。円町は学生が多く住んでいそうなにぎやかな街だ。円町はお金に関係する街だと思っていたけど、平安京の西の獄舎(牢獄)があった場所だとのことだ。
2日目 6月某日
円町から丸太町通りを東へ進んでいくと、天神川に当たる。ここには、神社があったものの、この由来等は不明だった。おそらく郷土資料館やら、近所の神社に聞いて確認してみないことには詳細はわからないだろう。
鴨川を超えると、京都大学の熊野寮が見える。フェンスにはタテカンが立っているのですぐにわかる。京都大学の寮の1つで、やはり自由な雰囲気があるらしい。たまに機動隊が来たりもする。熊野寮には竹屋町通を歩いたときにまた驚かされることになるので、それはまた後ほど。
熊野寮から少し歩くと、この辺の地名のついた神社である「熊野神社」がある。うさぎをモチーフにしたものが多く、縁結びスポットなのだとか。熊野信仰については、和歌山のほうの信仰かと思いきや、東北に大社があったりとよくわかっていない。後で調べておきたい話題ではある。
さらに少し歩くと、御辰稲荷神社があり、神社ラッシュを感じられる。ここは、音楽の神様 (実際には琴がうまいキツネらしい) が祀られているらしく、芸能上達がご利益だそうだ。また、境内には願い事が叶うらしい「福石大明神」も祀られている。
京都には「石をなでろ!」もしくは「絶対に石にさわるな!」(例: 幸神社) というシンボルが多いような気がする。
その後、鹿ヶ谷通に面したところまで歩けば、丸太町通り終了!
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