京都の通りすべて歩く - 間之町通
記念すべき10番目の通りは、間之町通。6月某日。
これも豊臣秀吉による天正の地割でできた通りとなる。京都御所の南側にある丸太町通始まる一連のシリーズで、9つの通りがすべてここからスタートする。まるでマリオのワープ土管のような場所である。ここから、七条通り付近までとなる。
名前の由来は、高倉通と、東洞院通りの間にあるということで、非常に覚えやすくシンプルなものとなっている。
御池通名物のモノリスである。例によって、南北方向の通りの由来の解説を行っている。
間之町通は、一旦姉小路通で分断される。ここには、京都市立洛風中学校と、京都万華鏡ミュージアムが立っている。京都万華鏡ミュージアムは、こども相談センターの設備を使ってNPO法人が運営している。ここが分断されているのは昔からのようだ。
京都古地図より引用
高辻通まで歩くと、再度間之町通が復活する。制限速度が20kmのほっそーい道である。
花咲稲荷神社がマンションの前に立っている。小さな神社だが、御朱印も頒布しているようで、ここに書いてある「藤井松華堂」というのは、ハケ屋さんだそうだ。なぜハケ屋で出しているのかは謎である。
さらに先に進むと、文子天満宮がある。菅原道真の乳母である文子(あやこ)が、道真の没後に、道真が夢枕に立つのを見て、祀れとの命を受けたのが始まり。とはいえ、文子は貧しかったので、社を建てることはできず、このへんに小さな祠を立てて祈っていたそうだ。
天神信仰発祥の神社との案内があるが、天神 (道真) の信仰は、発祥の地がお多すぎるような気がする。どれもあらゆる方向性での発祥なようなので、問題ないようだ。
とうことで、七条通にたどり着きこの日は終了。たしかこの日は、京都駅近くのカフェで朝食をとり、仕事に戻った覚えがある。
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