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京都の通りをすべて歩く - 御幸町通

さて、最初に通りを歩いたのは京都の東側に縦方向に伸びる御幸町通(ごこうまちどおり)である。今後の記事の方針について書いていくが、観光名所の案内やら詳細の説明は行わない。

まずは、通りの由来などや、距離感などについて考えてみる。京都には神社仏閣と出会うことが山程あるが、その説明はWikipediaや、公式ホームページに任せ、どちらかというとある地点から、ある地点へ移動したことによる街の変化や、人々の様子、街の変なものを紹介していきたい。

個人的なポリシーとして、可能な限り一般家屋の玄関などを中心に映さないようにしているので、写真ではなく文字上での説明や、絵を使った説明になることがある。

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御幸町通 (ごこうまちどおり)

2021年5月某日、運動がてらに「京都の通りをすべて歩く」ことにした。行き先については、完全に運や気分任せ。以下のページに書かれているとおりに、左上から1, 2, 3..と番号を振り、下にたどり着いたら右側へ19, 20, ... 50 と番号を振っていく。

そして、Google 検索で「乱数」と検索し、最小を1にして、最大を50にして、乱数を設定する。最初に出た数字は、「49」であった。そのため、この日は、御幸町通りとした。

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御幸町は、丸太町通から五条通まで縦に伸びる通りで、この日は五条通から上がり丸太町通まで足をすすめることにした。

五条通側の御幸町通の入り口は分かりづらく、しばらく1本左の麩屋町通を進んでしまった。とりあえず、戻り御幸町通から進む。御幸町通から五条通への出口には、「御幸町通専用」の信号がある。

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信号機について集めたマニアックなWebサイトによると、珍しい通り専用1灯式の信号らしい。御幸町通自体は五条通側への一方通行で、右折しかできないようになっているようだ。自分はペーパードライバーなのでこの道を正しく運転できる自身はない。ましてや、京都に住んでいなければ自分が今どの通りにいるのかがわからなくなり、大いに混乱しそうではある。

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足を御池通まで進めると、このような看板が立っている。御池通沿いには、縦方向の通りについての説明があるのだが、ここで衝撃的な事実を知ることになる。それは、読み方が「ごこまちどおり」であることである。

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「みゆきまちどおり」と読んでいたために、かなり意表を着かれてしまった。通りの解説等もこの看板に書いてある。

例によって京都の通りの由来にはいくつかの分類があるようだ。よく見かけるものは以下である。

1. 平安京時代の名残
2. 豊臣秀吉による区画整備「天正のの地割
3. 明治時代から大正時代にかけて行われた区画整備
これに加えて、第二次世界大戦下の「建物疎開」の影響やなどにより、通りの位置が変わることがあったらしい。

この通りは、2つめのパターンに属する。

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途中、大きな教会が建っているのをのを見かける。「京都御幸町教会」(御幸町二条下る) 京都の中でいくつか洋館を立てているヴォーリズによる建築の1つ。京都に来たことがある方で、河原町の鴨川沿いにある大きな洋館風の中華料理店「東華菜館」を知っているだろうか? 

こちらも、ヴォーリズが設計したもので、明治期に京都の中だけでなく、さまざまな場所で建築家として活動していたようだ。

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調べたところ、問い合わせ前提となるが中を見せてもらうことができるようだ。緊急事態宣言などが空けたらぜひ行ってみたい場所ではある。

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歩いているとあっというまに御所にたどり着き、この日の終点となる。全長はたったの2.3km。短いのでちょっとした散歩にもおすすめの道である。

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