「好きなこと」を仕事にしない方が幸せになれた② -好きだけど、好きじゃないことに気付く-

私は志望していた専門学科のある高校に無事合格し、息苦しさを感じていた中学校を卒業しました。
ものを作ることは小さいころから好きでした。
好きなことを勉強できるなんて幸せだなぁと、両親も私もぼんやりうつつを抜かしていたと思います。

入学後は、目に映るものすべてが新鮮でキラキラしていました。
部活動にも入り、学校行事にも積極的に参加して、友達をたくさん作りました。田舎から都会の高校に進学できた私はものすごく嬉しくて、
「地元の友達と比べて、ちょっとだけ普通じゃない私」に酔いしれていたのでしょう。

入学して夏休みが終わった頃、ふわっと気づきました。
物を作ることは好きでしたが、何よりその「0→1の空気」が好きなだけなことに。

学校は「センスの塊」「美術の鬼」みたいな人達が揃っていました。
手先が底なしに器用な子は紙素材で大人顔負けの作品を作るし、
陶芸で売り物にできそうなレベルのカップを作る子もいれば、
金属とガラスを使って童話のような世界観をカタチにする子もいました。
もちろん、コンテストで受賞する子もたくさんいましたし
高校生とは思えない独特の世界観や美貌を持った子たちが集まっていました。
このSNS時代があの頃に来ていたら、話題になるような子たちがたくさんいました。

当時は10代でしたから、もちろん劣等感のものは抱きますし、
良い意味で素敵な友人たちに感化されていきました。
今で言うアート書店には毎日のように訪れ本を読みインプットを増やし、
話題の店や美術展は他県でも足を運び、審美眼を養っていました。

それでも、彼女たちほど「制作」にかけるストイックさや独特のセンス、
情熱は圧倒的に足りていませんでした。

そんな「デザイン劣等生」の私が3年間幸せでいられたのは、学校の空気が「人それぞれの魅力がある、それを発揮する場所がある」という校風だったからだと思います。

本当に色んな子がいましたが、それぞれの価値観を互いが受け入れる校風で、本当に伸び伸びとした生活をそれぞれが謳歌していました。

私はいつからか「イベントを頑張る、みんなと仲良しのただただ元気な子」というポジションに満足していたのです。

自分の人生設計もせず、毎日楽しい学生生活を送っていた私ですが、
「受験」が目の前に来た時に、自分が何を生業にしていくのかを決めないといけないこと。
そして、専門学科に入ったことで選択肢が狭くなったことに気付きます。

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