ボディーイメージ ~わたしのほんとうの顔を捜す~

シリーズ企画「眼瞼下垂のおーばが語る『整形』のおはなし」
4回目の今日は
ボディーイメージ ~わたしのほんとうの顔を捜す~ 
という、ちょっぴり謎めいたお話です。

まず、ボディーイメージという言葉について説明をしなければなりません。
ボディーイメージはPDQがん用語辞書において、

人が自身の身体およびそれが他人にどう映るかについての考え方

と説明されます。・・・かなり、わかりにくいですね。

もう少しわかりやすく説明すると、仮にある女性が
私って、太っているなあ~ 
きっと周りからデブだとおもわれているんだろうなぁ~
と思っている としましょう。
それが その人自身の「ボディーイメージ」です。

その人が見た目にどんなに痩せていても、本人がそう思いこんでしまったらその人には 自分のカラダがとても太って感じられてしまいます。
(極度になってしまうと、拒食症という診断名がついたりします。)

このとき 彼女には「自分が太っている」 まだまだ痩せなくては!というボディーイメージがしっかり根付いてしまっているのです・・・。 
そして、自分のボディーイメージは 容易に修正できるものではありません・・・。

それは極端な話だろうと お思いのかたも多いでしょうが
私がこれまでにお会いした人の中にも、眼瞼下垂の手術が無事済んで 他人の目からはとても良い状態にあると思うのに、自分の感覚として
「でも 私の顔はとても醜いのです、辛くて外を歩けないほどです」
なぜ、そう感じてしまうのでしょうか。

ひとつには、
手術の影響で、ちょっと皮膚が突っ張ったような感覚があったり
目の開けにくさ閉じにくさを 多少伴ったり。
そういう不具合がとても強く感じられると
ときに 見た目に関する自覚的な感覚にも違和感を与えてしまうのかもしれません。

ほかに理由があるとすれば
前回も書いたのですが、「こんなはずじゃなかった!」という気持ちがあるのかもしれません。
つまり 手術をしたらきっとこんな感じになるだろうと思っていたら
「思い描いていた顔」とのギャップが大きかった という場合です。
確かに これは たいへんショックな出来事です
でも、あなたの理想が極度に高かったり 許容範囲が狭すぎるせいだとしたら
・・・あなたは 悩まなくってもいいことで 悩んでいるのかもしれない
自分で自分を がんじがらめにしてしまっているのかも知れないのです。


他人にはごく普通に見えてしまうので 
ボディーイメージのズレに悩んでいる人の その悩みを共感することは大変に困難です。
ただし (時間はかかるけれど)解決の糸口はあると思っています。
そのことは 今後、少しずつ書いてゆきます。

次回は、ポリサージャリーについて書いてみます。

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