AI全盛の時代に人間が医療をするということ
雑記です。
一部でOpenAIのCFOの発言が話題になっていました。
いわく、汎用人工知能(AGI)はそう遠くないとのこと。
以前サム・アルトマンのエッセイも話題になりました。
AIの進化は止まらず、2030年ごろにはAGIが現実になるといわれています。
ChatGPTをはじめとするAI技術が本格的に世の中に実装されてまだ2年ちょっと。
その間にこの世の中は目まぐるしく変わったかというと、市民レベルでは案外何事もなかったかのように回っています。
しかし確実に、AIのなかった時代には戻れないほどに世界は変わりました。
インターネットが普及した時、スマホが出てきた時、それ以前の時代は間違いなくあったはずなのに、思い出そうとしても白昼夢だったかのようにうっすらとしか思い出せない自分がいます。
インターネットがなかった時、我々は何をしていたんでしょうか。
日常が変わる
アルトマンは"If we could fast-forward a hundred years from today, the prosperity all around us would feel just as unimaginable."と言っていましたけど、実際のところAGIが普及した日常ってこんな感じなんだと思います。
自分が思うよりも早く生活が整えられ、次々と「やるべきこと」が先手を打って解決されていく。
確かに便利です。
だけど、これって本当に自分の生活なんでしょうか。
誰もが自分が置き去りにされているような感覚を覚えながら、なんとなくそのまま社会は回っているような気がしています。
小さな自由が奪われる
冷蔵庫に足りないものを見つけて、最寄りのスーパーから最適な食材を自動で補充してくれる。
今日の夕食どうしようかなと考えるその時間さえも、AIが奪ってしまうかもしれない。
便利なのは間違いないですが、選択の自由はどこにいってしまったんだ、みたいな。
自分らしい選択をすることが人間らしさなんじゃないだろうか。
最適な答えがあると知りつつも、もしかしたらと違う選択肢も検討したくなる。
そんな機会は今後縮小していくのかもしれません。
失敗する権利
AGIがすべての物事に最適な選択をしていたら、喜びも失敗もただの経験に過ぎないものになるのでしょうか。
特に医療は失敗が許されない世界です。
ある程度経験を積んだ医療者は誰もが苦い経験を持っており、その時の患者さんのお顔が思い浮かぶと思います。
最適なものが常に選択できるのならそれに越したことはない世界で、最適なものを常に選んでくれるAGIが普及したとき。
自分が選んで、失敗して、そこから何かを学ぶ経験は確実に少なくなるでしょう。
医療者は没個性化していくのか。人間らしい医療とは何なのか。
AI全盛の時代に人間が医療をするということ
これは何の根拠もない個人の考えなんですが、多分AIがどれだけ進化しようと医療は人間がするんじゃないかなと思います。
診断支援の技術はどんどん進むし、AGIが診断から治療プランまで立ててくれるのかもしれないけれど、それでも患者さんへの説明はずっと医療者がすると思う。
だってAIは責任を取ってくれないから。
AIに「あなたは癌です。6か月後に死にます」といわれてハイそうですかって言える人がどれだけいるのか。
人間はそう簡単にはできていませんし、AIほど急激な進化は遂げられません。
怒り、悲しみ、困惑した時、うけとめてほしいと思うのが人間で、それは「今日の夕食どうしよう」と同レベルの話では決してない。
最期に人は人に手をさすってほしいものです。
逆説的ですが、AIが普及するほど、医療者はいかに自分が人間的であるかを問い続けなければならないと思います。
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