Ultrasone Pro900i 製品レビュー
このヘッドホンは得難い低音を聴かせてくれる。それを私は「玉のような低音」と言いたいが、これにはいくつかの前提が必要だ。
低音と聞くと多くの人は低音の量を想像する。ほとんどの人が「あ、いい音だ」とレストランやカフェで(しばしばBOSEのスピーカーから)感じるとき、それは腹に響く分厚い低音をもって、「家の音と違う」と感じるからだ。しかしこれは私たちオーディオファンには当てはまらない。私たちにとって低音が出ているのは当たり前のことだからだ。問われるのは低音の「質」である。
段階1、そもそも量が不足している低音
段階2、量は出ているがほぐれの悪い、鈍重な低音
段階3、輪郭がはっきりし、きびきびと動く低音
ボワつかずキレ味のいい低音は音楽全体の躍動を何倍にも高める。もたついて音程を把握しづらかったベースラインが輪郭を明らかにし、上下動を展開する。ベースは音楽を土台として支えるだけでなく、自身の闊達な動きをもって音楽全体を加速・励起する役割を担っていることがわかる。ただしPro900iはそれにとどまらない。Pro900iの低音はよくほぐれてキレ味があるのに加え、磨かれた玉のように硬い、魅惑的な質感を持っている。
段階4、玉のように丸く、ゴムのように弾む低音
それがよく現れるのがバスドラだ。Pro900iでお好きな楽曲を再生し、バスドラの音に耳を傾けてほしい。充実した量の低音がよく制動されているのが分かるが、耳を奪われるのはその質感だ。
当機のバスドラは硬さをもって耳元で跳ねる。まるでハイハットのような生々しいアタック感がある。しかしこの硬さにはとげがない。丸い。バスケットボールが、低く速くドリブルされている様子を想像していただきたい。硬いゴムがリズミカルに跳ねるようにバスドラが耳を打ち、躍動する。音に生きた塊感がある。ボワつきを離れて輪郭を得た低音が、Pro900iではさらに引き締まり、しかし痩せたり尖ることはなく、硬いゴムのような弾性と玉のような丸みを帯びている。
これが音楽に与える影響は絶大だ。先の低音がたどる段階をもう一度見ていただきたい。段階1ではあるかないかもわからなかった低音が段階2で存在を知覚され、段階3で輪郭を明確にし、きびきびと動き始める。それが段階4では弾力と粘りを持ち、しなりをもって躍動し始める。バスドラは心地よく耳を打ち、ベースはブリブリと弾む。そんなバスドラやベースが全体を押し上げると音楽はどうなるだろう。Pro900iで聴きなれたジャズの演奏を聴いてみる。まるでリズムセクション全員がアドレナリンを二割増しで分泌したように演奏全体がエネルギーを増し、熱気がほとばしる。低音が魅力を増したことで、ピアノやホーンセクション、ヴォーカルとの応酬が明瞭になり、ドライブ感は否が応でも増す。ジャズやロックを好み、音楽のはしり、うねりを重視する方は当機を手にして全音源を聴き直すことになるだろう。音楽における良質な低音の影響を知りたければ、当機をスルーする選択肢はない。
ところで、私は5万円以上のオーディオをレビューする場合、「その機器でしか聴けない音」に言及することにしている。高級機がベーシックな再生能力を持っているのは価格的にも当然のことだからだ。私たちオーディオファンはその先・・・すなわち自身の音質的好み、聴く楽曲の傾向が機器と「ハマった」時の「これしかない」サウンドを追及している。だから私はPro900iの良質な低音に紙幅を費やした。
では当機は、普及価格帯で散見される「重低音専用機」なのか?まさか。モニター機として音楽制作者が愛用する当機がそのような偏りを持つわけがない。また、「低音の質感まで描き出す」という難題をクリアするPro900iが音楽全体の表現やバランス、音像・音場の精確な再現に後れを取るわけもない。私があくまで、Pro900iの得難い低音にフォーカスしただけである。
モニター機としてのハイレベルな音楽再生能力を、得難い強みである「それ自身に聴き惚れてしまう低音」がうねらせ、ブーストする。Pro900iが提供するそんな魅惑的なオーディオ体験を、ぜひご自身の耳で確かめていただきたい。
ライター E.Y.