ソジャーナ・トゥルース 6競売
『アンクルトムの小屋』も奴隷の生活を描いた傑作です。そこで一番衝撃的だったのは、奴隷が「なんとか自由の身になって働いてお金をため、自分の家族を買い戻して一緒に暮らす」ことを夢見る場面です。「そんなバカな話があるもんか」と、読んでいるだけで涙がこぼれました。
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チャールズ・アーディンバーグの死後、ついに「奴隷と牛馬などの家畜」が競売人の槌のもとに置かれて主人が変わる、恐ろしい競売の日がやってきた。イザベラはその日のことを生涯忘れないだろう。
イザベラとピーターだけでなく母親も競売にかけられる予定だったが、相続人の間で「働き者のマウマウ・ベットがよそに行ったあと、誰がバウムフリーの面倒を見るのか」という疑問が持ち上がった。
バウムフリーは年老いて弱っていた。腕や脚は老年のためというより長年の労苦のせいでリューマチを病んで痛み、関節が歪んでいた。彼は妻よりも数年上で、奴隷としての価値がもはやないどころか、近いうちに介護が必要となり、所有者の重荷になることが目に見えていた。話し合いの結果、バウムフリーを引き受ける者はいないことがはっきりした。そこで相続人全員の便宜を図るため、マウマウ・ベットの代金を犠牲にして、忠実な夫のジェームズの面倒をみることを条件に彼女を自由の身にすることが決まった。
ジェームズが忠実だったのは妻に対してだけではない。病み衰えてこの先も苦しみ続けるであろう奴隷を楽にするためにびた一文出そうとしない主人に対しても、彼はあくまで忠誠をつくした。自分たちの身の上に関する重大な決定を聞かされて、年老いた夫婦は喜んだ。二人は一度も離ればなれになったことがなく、ついにこれから別々の家に売られていくと苦しい覚悟を決めていたのだった。
二人は無知で非力のうえ、打ちひしがれ、度重なる苦難と悲痛な別離でボロボロになっていた。しかし彼らが人であることには変わりはなかった。二人はどの人間よりも人間らしく、真の愛情にあふれていた。最後に残った子どもも売り渡されることが決まった今、年老いた夫婦が別れなければならないのは身を裂くように辛いことだっただろう。
彼らは、例のジメジメした地下室に残ることが許された。しかし、食い扶持は自分で稼がなくてはならなかった。母親はまだ働くことができたし、父親も少しは動けたから、しばらく二人は楽に暮らすことができた。当時家を借りていたのは心ある人びとで、夫婦に親切にしてくれた。彼らは裕福ではなく、奴隷も所有していなかった。
この暮らしがどれくらい続いたのかは分からない。イザベラはまだ幼くて、年はおろか週や時間を数えることもできなかったからだ。しかし母親は、チャールズの死後数年は生きたらしい。母が亡くなる前、イザベラは母親を数回訪ねており、訪問の間にはずいぶん長い時間がたっていた記憶があるという。
競売 了 つづく