もっくんのカウントダウン
27/08/2020から始まったもっくんのカウントダウン。今日で4日目です。
心がサワサワしますね。なんともやるせない。どうにもこうにもなにもできていません。仕事も休みます。無理をいっています。
でも、ここにいるしかないから。なにもできなくとも。
ほんとになにもできないんです。みてるだけ。それだけ。
そんなんあかんのかなとも思うけど。
決められた仕事はして、自分の与えられたことは自分でこなして、そのあとに犬でしょ、という人もいるかもしれません。。。でも、私にはもっくんが大切です。
みてるだけかもわからんけど、自分でそれを決めました。
だって大切なもっくんですから。
私の家ではワンコが途絶えることはなく、これまで何人も看送ってきました。
それぞれに色々な思い出があります。
もっくんだけが特別ではない。
それぞれの魂に沿った関わりしてきました。
もっくんの先代について話したいと思います。
その子はいわゆる野良犬でした。そうですね、今から27年ぐらい前だと記憶しています。駅前に5〜6匹の野良犬集団がいて、恐れおののかれていました。
でも、そのうち一人、二人と姿を消します。きっと保健所に捕獲されたのでしょう。
でも、その子は一人残りました。逃げのびた。
私の会社の上司が犬好きで、彼女を上手に手なずけました。
そこに私が乗っかりました。
私の上司はその子を家に連れてかえるわけにいかず。でも彼女は私たちにとても懐きました。波動が調和しました。
あれは、今年のような猛暑の年、燃えるような夜、私、会社から帰るとき心配になって、「一緒に帰る?」とはなこに聞きました。(会社のご近所では有名で、野良犬はなことしてそこそこかわいがられてました)
そしたらはなちゃん、「うん」と黙って私が押す自転車についてきました。
私の家には、こわーいおばあちゃんがいましてですね、絶対怒られる!と思ったのですが、はなちゃん連れて帰りました。
じーっと玄関で座る私と汚い汚いはなちゃん見て、おばあちゃん一言、
「暑かったやろな、玄関やったらええで。」と怒りもせず。。。
男前でしょ、うちのおばあ!!!
そんなこんなで推定5歳のはなちゃんは、のちに『もみじ』と改名されて、その後約7年、しっかり仕事して、大切な大切な家族の一員として過ごしてくれました。もみちゃんの存命中におばあちゃんは亡くなりました。もみちゃんにいっぱい助けてもらってね。。。(またいつか、もみちゃんの仕事っぷりは披露するとして。)
しかし、まあ、もみちゃんの最期は、それはそれは壮絶な認知症。夜鳴きを半年やり切りましたよ。10分に一回のペースで。私はその当時遅咲きの看護学生でした。一人でもみちゃんを家に置いておくこともできず。長年お世話になっている獣医さんの協力のもと、私が学校に行っている間、もみちゃんをあずかってもらう段取りをしました。獣医さんのオープンと看護学校の始業時間が合わないため、学校になんとか懇願して、毎日30分の遅刻を許してもらい、タクシーで送迎。幼稚園らしからぬ、今でいうデイサービスですか。日中もみちゃんをあずかってもらい、夕方連れて帰る。お金もがんがん使いましたよ。でも、苦にはならなかった。幸せでした、今思えば私。
そしてもみちゃんの人生は終了を迎えました。最期はもみちゃん静かに天に召されました。。。。私が寝ている間に。
そのあとに続くのがもっくんです。
はなちゃんというもみちゃんが亡くなって、ペットロスでどうにもこうにもならない時に近所のペットショップで衝撃的に出会ったのがもっくんでした。
毛並み、色、目の輝き、はなちゃんというもみちゃん瓜二つでした。
もうこんなん、あかんやろ。びっくりしましたよ。
運命です。もみが帰ってきた。本気で思いました。
そんなん、私の勝手な妄想ですかね。。。。(笑)
もみちゃんが旅立って2か月、もっくん我が家にやってきました。
しかし、もっくん、知れば知るほど噛みつき犬、手の施しようもなかった。
でも、大好きなんです。私の光なんですよ。もっくん。
大好きなんです。
そんなもっくんのお迎えがもうそこまできています。
どんな車で迎えにくるのかな、電車の形かな、猫バスみたいなやつかな、それとも光につつまれるのかな、、、、。
だれも行ったことないから、もっくんに説明できへんのです。
とにかく、苦しくないように、痛くないように、穏やかに。
祈るばかりです。
もっくん大好きやで。
ありがとうね。
すいません、誰にも話せなくて、こんな長文になってしまった。
ここまでどなたがどれだけ読んでいただけるか不明ですが、
ありがとうございます。