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私を岩手に呼んだのは・・・

皆様ごきげんよう。いぬくまの感情お化けの方、えんじです。

細々と活動を続けている中でも私達を見つけてくださり、記事を読んで頂き、スキして頂き有り難い限りです。

さて今回は、私達が活動のメインとしている歴史や神話、神社巡りについての始まりを綴っていこうと思います。最後までお付き合いくだされば幸いです。


当時はパワースポットと言う認識

もともと関西時代から神社にはよく行ってたのですが、私自身カミサマというものに対して興味があった訳で無く、旦那の御朱印帳集めの付き合いという感じでしかありませんでした。そもそもまだまだ当時は若かった!(今もまだ未熟ですがw)

「神様なんている筈ない、いたら私こんなに不幸になってない!!」

・・・我ながらだいぶ痛い子でした、打ってて恥ずかしいのですが当時未だにそんな考えがまだ心の奥底で燻っていたのです。

ではそんな私がどうして現在このような活動をしているのか、ですが。

まず初めに一つだけ言わせて頂きたく。

あくまで個人の価値観でしかないという事です。いろんな考えがあり正しいも正しくないも各々が判断するので私がこれから話すことも信じられないならそれで構わないし異なる見解をお持ちの方も私は否定はしません。いろんな人がいてその数だけの価値観があるよね、そんな感じでひとつ聞き流していただければ。

いぬくま大航海時代と大嵐

私は岩手出身ですがもう戻る事はないだろうと一大決心して関西へ飛んだのも束の間、更にそこから秋田への大移動ですが私達にとってはかなりの覚悟の末の引っ越しでした。

それこそ骨を埋める覚悟でした、でもそれ以上に大切にしたいものがありました。

・・・まぁ結論一年しか居られなかったのには色々、本当に色々ありまして(お察し頂ければ)結論秋田にいる必要がなくなってしまったと言うかいたら精神的に良く無くなってしまったと言うか。

まぁそんなこんなで、私は上記の一件で現時点で人生で一番精神的に病んでしまいました。当時の事は私自身記憶が曖昧なので旦那から今聞きましたが

「生きてるのに疑いたくなる状況、目を離したら消えてなくなりそうだった。」

そうです、我ながらだいぶ末期だったようで。

もちろん旦那自体もある程度のダメージはありました、休みの日に近所の神社に行ったのが始まりでした。


ぼろぼろ夫婦と八幡さま

所謂神頼み、とでも言いましょうか。何とか私と自身の状況を好転させたくて、きっかけが欲しくて神様に問いかけたそうです。

その神社は特に有名な場所と言う訳ではありません、たまたま近所の八幡神社でした。初めて訪れたのがお正月初詣に行き、私は何も感じませんでしたが、その時燃えていた焚き火が頭に焼き付いていたそうで。

そしたらふと私を連れて再び訪れるようなイメージが沸いたそうです、実際その日私は仕事でしたが職場に旦那が迎えに来て連れて行かれたのを覚えています。

「神様話聞いてくれてるような気がするんだよ、お前も話してみたら?」

みたいなニュアンスのことを言われた筈です、旦那からの受け売りで神社はお願いに行くところではなく誓いに行くところだと教えてもらっていた私は、神社巡りではいつもご挨拶だけしかした事なかったので今思えばどうやって話すんだと聞く筈ですが自然にまるでそこに誰か居るように声に出して現状を神様にお話しし出したそうです、ここもあんまり覚えてない・・・。

突如私が「あったかい。」と口に出し安心したようにぼろぼろと泣き出したのを目の当たりにした旦那は根拠こそありませんが私はもう大丈夫と確信したのだとか。

その後旦那が「毎日ここに来るように」というフレーズが湧き私もそう言われたのは覚えています。引っ越しまでの約1ヶ月間、可能な限りにはなってしまいましたが、足を運びました。こんな事がありましたとか、報告や明日も頑張りますと言う約束をしているうちに、ただただこの先の不安と、人に対する疑念と、悲しみしかなかった私がこれからの事を考えられるようになり、さらに自分を成長させようと前向きに行動するようになっていきました。

実はその前にもう一つ不思議なことがあったのです。

神社に行くほんの数日前の朝の事です。今自分に降りかかっている現実が夢ならばと眠り、目覚めて朝が来る度に絶望していた私は「あぁ、始まってしまう、またこんな苦しい中心臓を動かさなければいけないんだ」とカーテンを開けました。そんな私の目に飛び込んできたのは

虹でした。

綺麗にアーチがかかってる訳でもなく珍しい二重になってる訳でもない、虹、でもカーテンを開けた私の真正面にあったそれを目覚めて一番最初に目の当たりにした時、私の全身の毛を逆立てるような衝撃と共に根拠はありませんがひどく感動したのをはっきり覚えています。

まるで誰かが「お前が思う程世の中は捨てたものではないしお前もまた、生きている。美しいと思う心はちゃんとある。」そう言っているような気がして。久しぶりに生きた心地がしたのを覚えています。

誰かが、私に虹を見せてくれた。

これが確信に変わった瞬間でした。

現在私達は主に神話の中でも隠された存在龍神について調べておりますが、このきっかけを掴んだのもこの虹からです。

実は私以上に影響を受けていたのは旦那でした。

虹と縁が深いと言われる龍神の存在を知り、そこから一気に芽吹いたように私達は龍神について、日本の歴史や神話について、神様についてさまざまな事を学び始めました。止まっていた時間を取り戻すかのように積極的に動き、支え合いながら引っ越し準備の合間には動画を見ながら勉強したり運動を再開したり、それでもやっぱり辛い時は二人で泣いたり。

神様に会った事も見たこともないけれど、世の中には私達では解明できない不思議や偶然って確実にある。居るのかもしれない、私達とは交わらない違う次元に。

そう考えるようになりました、を二人で乗り越え互いに成長できたのも、辛い出来事ではありましたがその一件があればこそでしたし、神社に行ったのも、虹を見て目が覚めるような気がしたのもそうです。

全てに意味がある、または意味を見出して生きていこうと思いました。

そして岩手へ旅立つ早朝、私達は真っ直ぐ胸を張って神社に立てていました。

ありったけの感謝とまた必ず会いに来るとお約束して秋田を後にしました。

長くなりましたが以上が私達の「今」の始まりです。

岩手の地に来てから

神様の定義は人それぞれにしろ神様は、居ると確信せざるを得ない経験をした話についてはまた後日・・・。

長くなりましたが、最後までお付き合いくださりまして有難うございます。

いぬくまはこうして細々とではありますが活動を続けて行く所存です。

ご興味湧いた方、楽しんでいただけた方おりましたら、また機会があれば記事を覗きに来てくだされば嬉しいです。

では、本日はこれにて。

えんじでした!

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