オードリーANNが立体になる。
2月18日にオードリーANNの東京ドームライブがある。
だから先月から今月にかけてはオードリー強化月間として関連書籍を読み漁ったり、過去のラジオを聞いたり忙しい。他に読みたい本があるが、そんなものは来月に回せば良い。受験前のようにオードリーの予習復習に時間を捧げている。
東京ドームでどんな内容のトークが繰り出されても、予習復習なんて必要は無く楽しめるはず。だからこそオードリーANNは長年リスナーに愛され、新規リスナーは増え続けている。でも予習復習によって僕の中の満足度が1%でも上がるなら開演の直前まで勉強する。そんな熱量で取り組んでいる。
こんな肩に力が入ったリスナーなんて2人からしたらいい迷惑だろうけど。
そんな中、先月に発売された「オードリーのオールナイトニッポン トーク傑作選2019-2022 「さよならむつみ荘、そして……」編」
正直あまり期待していなかった。
僕はライブアルバム(生演奏を収録したCD)のようなものがあまり好きではない。ライブは映像ありきの作品であり、実際に会場でライブを観るか、せめてDVDで楽しむべきものだと思っている。ライブアルバムはライブのネガティブな焼き直しで、映像が差っ引かれた未完成だと思っている。だからわざわざ手に取ろうと思ったことはない。
この本もその位置づけなのかな、と思っていた
ラジオはラジオで楽しむものであって、文章で楽しむものではない。文章を読むなら小説やエッセイを読んだ方が絶対楽しい、と。
なぜ買ったのか?と言ったら「記念に」程度の気分でだった。
でもこの本はラジオをネガディブな焼き直し商品ではなかった。
僕にとって、ラジオ音源としてアーカイブを聴き直すのではなく、文章として触れ直す必要があったんだなと読み進めていくうちに気づいた。
僕はラジオをジッと聴けない。
掃除をしたり、散歩したり、筋トレしたり、基本「ながら」聴きだ。(でも仕事中は聴けない。仕事にもラジオにも集中できないからだ。)
しかし、ながら聴きだと、点で面白い部分を拾えていても、線では聴けていなかった。本質を掴めずに上部だけ掬っていた。
逆に本だと物理的に「ながら」では行えない。必然的に本に集中せざるを得ない。だから一度聴いたことがある内容でも文章として改めて触れることで線で捉え直すことが出来た。ラジオでは出来なかった楽しみ方が出来ている。
特に若林さんのトークはラジオと本では全くの別体験をさせてくれた。ラジオで聴くと落語のように楽しめるかと思ったら、本で読むとエッセイや文学のような読後感すら味わえる。
ラジオだとたとえ悩みや葛藤であっても、こちらにあまり深く考えさせずにただ楽しませてくれる。しかし文章だとその悩みや葛藤に対する深い洞察や思考が窺える。ラジオパーソナリティであり、文筆家でもある彼はオードリーANNという媒体を通して、その両面の楽しみを僕らに与えてくれていたのだ。改めて天才だなと思った。
平面だったオードリーANNは、この本を読み通すことで立体になった。
そして東京ドームライブ後には何面体になっているのだろうという楽しみが増えた。
僕のようなながら聴きリスナーには是非手に取ってほしい作品だ。