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ルームメイトの猫

我が家には一年ほど前から猫がいる。
お迎えしたのは恐らく生後半年くらいの時。元々野良の子だ。
猫には社会化期(生後2週〜9週)というものがあり、この間に共に過ごす仲間とのコミュニケーションを学び、絆を築いていく。そしてこの時期を過ぎると中々懐きにくいらしい。
社会化期を遠にすぎた我が家の猫は一年たった今もほぼ僕には近づかないし、ほとんど触らせてもくれない。
でもチュールをあげる時だけ寄ってきて、ペロペロ中だけ撫でさせてくれる。まぁまぁしたたかな奴だ。
だからチュールタイムは一日の中で唯一の接点で、僕にとって貴重な時間だ。
みんなが風呂上がりにビールやアイスで一日の疲れを癒す中、僕はチュールを介して猫とのコミュニケーションを満喫している。

猫の名前は「しずく」という。
西加奈子さんの短編集「しずく」からそのまま頂いた。
猫の飼い方もよく分からなかった当初は藁にもすがるような思いで猫関連のサイトを調べたり、本を読み漁っていた。
その時に出会った一冊である。
この短篇集のタイトルと同名の一編「しずく」は猫のお話だ。
猫のしつけのノウハウが書いてあるわけでもないし、野良猫が飼い主に懐いていくストーリーでもない。
でも、猫への愛おしさを感じるには充分すぎる作品だ。
この作品から受け取った愛おしさの矢印を強引にでも猫に向けたいと思い、「しずく」にした。
当初はあまり愛おしさを感じれていなかった。
餌をあげるためにケージを開けるだけで「シャー」と牙を剥き出しにして、威嚇してくるのだ。お世辞にも可愛いとは思えなかった。
根からの猫好きだったり、飼い慣れてる人ならこれでもピュアな「可愛い」が溢れるのかもしれないが、僕は猫を飼うのが初めてだし、そもそも犬派だ。

飼い始めたキッカケは3行で収まるほどシンプルである。
友達に「猫を飼った方がいい」と言われたから、だけである。
そして何故か「じゃあ飼う」と即答していた。酔っ払っていた。
そしてそして数日後には友達の友達が保護したしずくが我が家にいた。

蛇口から滴る雫がシンクに到達するのと同じくらい一瞬の出来事だった。

なぜ即答で飼うことにしたのか、未だによく分からない。
まぁ心のどこかでペットを飼いたいと思ってたのだろうし、飼わない理由も特になかった、その程度のことだろう。何でもかんでも明確な理由があるわけでもない。

飼い始めて約2ヶ月、しずくにはケージの中で過ごしてもらった。
ネットの情報や友達の話を聞くと、「遅くても1ヶ月もすれば慣れるよ」とのことだった。
そして最低限「触れること」を目安にケージ生活からの卒業を目論んでいた。
しかし、1ヶ月を過ぎても全く慣れない。
やはりネットの情報などアテにならない。友達の話もあらかたネットの情報だろう。
テクノロジーが進化しても、ネットに散らばった情報の質は10年前とさほど変わってない。
むしろクリック数目的だけの質の悪い情報は増えている。
案の定、勝手にネットを信用して、勝手に少し落ち込んだ。

型にはめたような現代病を患っていた自分を恥じた。
そして「慣れさせる」という人間様的な上から目線の考え方はやめることにした。
その一歩目として、目論見通りとはいかなかったが、ケージから解放した。
始めは不安もあったが、そんな心配は不要だった。
文字ではなく、これで伝わるだろう。

色々悩んでた時間がバカらしく思えてくる。
でもバカらしく思わせてくれたとも言える。

今もワチャワチャ戯れたい気持ちはもちろんある。
人懐っこい猫を見ると羨ましく思うこともある。

今の僕としずくの関係性は飼い主とペットではなく、ルームメイトに近い。
主従関係はなく、共存している。
(ルームメイトなら家賃や生活費を折半してほしいところだが、一旦目を瞑ろう。しかし、チュール代くらいは稼いできてくれないものなのか。)

ある意味、この関係性が一番家族っぽいのかもしれない。
友達以上に近いけど、他人のように遠く感じてしまうところにしずくと思春期の自分が重なる。
そして、そんなしずくをちょっとだけ愛おしく感じる。

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オヌ
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