最近の記事

noteの通知が生んだ、この文章

何も書くことがない。 書きたいことがないということは、身の回りで起きていることに対してが自己完結出来て、平和に過ごせている証拠なのかもしれない。 または、観察することや考えることを忘れている。 現代病で、暇さえあればSNSのタイムラインを追ってしまっている。 蝉が鳴き止んだことさえ気づきもしないし、「17時には真っ暗だな」と今更気づいた。 書くことがないのに、なぜ無理して書いているのかというと、noteから送られてくる「〜までに記事を書くことで連続投稿を〇〇ヶ月に伸ばすこと

    • ディヒューザーを一人で使い切る

      ディヒューザーを買い、自分以外の人間がその香りを嗅ぐことなく使い切った時に侘しさを感じる。 それでも尚、ディヒューザーを買い足す自分からは哀愁の匂いが漂っている。 嗅ぎ慣れた部屋の中と自分の匂いは、自らの嗅覚では感じにくい。 だから買い足され続けるディヒューザーも哀愁も、僕だけにとっては「無」だ。 「ある程度匂いにも気を遣っている」という自意識を満たすためだけに、家のスペースとお金を無印良品に寄付をし続けている。

      • トイレ行こうとしたら、4:44だったので一瞬迷った。

        真夏に長袖パーカーを着ている男性、日焼け防止目的の女性とは何か違う。 秋が近づき人肌恋しくなる都合の良さ。 秋と春、季節の中間地点が1番テンション上がる。 大人が最新を求めた結果、レトロが若者に好まれる。 団地妻ってなんでエロいんだろう、建物+続柄ってだけなのに。 バス停で大汗をかく夏。 侵入禁止の前で一度立ち止まる。 iPhoneは16も出てるのに、傘は置いてけぼり。 老けは目立ち、成長は知らぬ間に。 スマホは2台持ちがビジネスマンのマナー的なところある。

        • 以前住んでた家は「自分の家」の感覚が残る

          毎日のランニングで以前友達とルームシェアしていた家の前を通る。 今の家から近いのと、歩道が広い大通り沿いに面しているため、ランニングコースには丁度良い場所にその家はある。 オートロックなど勿論無く、昔ながらの外階段がある2階建の木造アパートなので、毎日走っていると、人が住んでいるかどうかくらいはなんとなく分かる。 引っ越しても、そのアパートは今でも「自分の家」という感覚がある。 なので、次の住人が入ってこないかが、ずっと気になっていた。 出来れば誰にも住んでほしくないとす

          ハッピーバースデーメール

          7月で31歳になった。 何歳になっても、なんだかんだで誕生日は心が弾む。誕生日というだけで何もしてないのに、周りは祝福してくれる。直接お祝いしてくれることもあれば、LINEで連絡をくれることもある。 そしてメールも届く。メールでやり取りをしている友達はいないので、ショッピングサイトなどからのメールだ。 「ハッピーバースデー」的な件名のメールだ。友達でもなく、ただの顧客にもワザワザメールを送って頂けるなんて律儀だな、なんて思ってメールを開いてみる。すると、お祝いなんて更々する

          ハッピーバースデーメール

          リモートワークだけで人を判断しない。

          仕事がフルリモートなので、お客さんはもちろんプロジェクトメンバーにもほぼ会わない。会うとしても、たまにある飲み会くらいだ。 そのたまにある飲み会で「これは反省しないとな。。」と思うことがある。 それはリモートのチャット上のみで、その人を判断してしまっていることが往々にしてあることだ。 フルリモートだと、プロジェクトの参画時にすら会わずに、初っ端からチャットでのやりとりとなることもある。すると、例えば新たに入ってきたプロジェクトメンバーをチャットや成果物や会議での会話でのみ

          リモートワークだけで人を判断しない。

          スマホを見ている人が少ない光景

          ラーメン二郎でスマホを見ている人は少ない。店員に「ニンニク入れますか?」とコールを聞かれていることに気づかなかったら怒られるからだ。(あと単純に調理風景を見て、早く出来ないかと腹を鳴らしている。) ライブ前にスマホを見ている人は少ない。開演前のステージを見つめて、今か今かと登場を待ちわびているからだ。 Jリーグのキックオフ前にスマホを見ている人は少ない。スタジアム全体に熱量と緊張感が走るからだ。 これらはどれも待ち時間であり、余白の時間である。 所持することが義務化されて

          スマホを見ている人が少ない光景

          タバコの銘柄を変えられない。

          タバコを吸っている人にとってはあるあるかもしれないが、近所のコンビニの店員さんは僕のタバコの銘柄を覚えて下さっている。 だからと言って決して常連ぶって「いつもの」とは注文しない。タバコの棚に視線を向け、あたかも自分の銘柄を探すように「あの〜」と言うと、全てを察していつものタバコを持ってきて下さる。 この過剰な程のよそよそしい演技は、常連ぶる奴くらい鼻に付く所作な気がするが、そんな僕に対しても嫌な顔一つせず、いつものタバコを持ってきてくれるのだ。 そんな仕事熱心で優しい店

          タバコの銘柄を変えられない。

          オードリーANNが立体になる。

          2月18日にオードリーANNの東京ドームライブがある。 だから先月から今月にかけてはオードリー強化月間として関連書籍を読み漁ったり、過去のラジオを聞いたり忙しい。他に読みたい本があるが、そんなものは来月に回せば良い。受験前のようにオードリーの予習復習に時間を捧げている。 東京ドームでどんな内容のトークが繰り出されても、予習復習なんて必要は無く楽しめるはず。だからこそオードリーANNは長年リスナーに愛され、新規リスナーは増え続けている。でも予習復習によって僕の中の満足度が1%で

          オードリーANNが立体になる。

          大人になってからのマックグリドル

          「酢豚にパイナップルはアリかナシか。」 この論争は僕が生まれる遥か前から続いている。多分。 僕のしてはナシだ。特に小さい時は大ナシだった。 それが料理のアクセントのためだろうと、おかずにフルーツを入れることは僕にとってタブーである。そのビジュアルにどうしても拒否感があり、たとえ美味しかったとしても、ビジュアルバイアスによって口に運ぶことさえ躊躇われる。口に入れたとて、昆虫食を食べさせられた時のように味わう以前に嗚咽してしまうような感じになるだろう。 パイナップル入り酢豚の

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          ルームメイトの猫

          我が家には一年ほど前から猫がいる。 お迎えしたのは恐らく生後半年くらいの時。元々野良の子だ。 猫には社会化期(生後2週〜9週)というものがあり、この間に共に過ごす仲間とのコミュニケーションを学び、絆を築いていく。そしてこの時期を過ぎると中々懐きにくいらしい。 社会化期を遠にすぎた我が家の猫は一年たった今もほぼ僕には近づかないし、ほとんど触らせてもくれない。 でもチュールをあげる時だけ寄ってきて、ペロペロ中だけ撫でさせてくれる。まぁまぁしたたかな奴だ。 だからチュールタイムは一

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          二日酔いの許し方

          あなたにとっての最大の敵は誰ですか? 僕にとってはお酒です。 お酒は無防備な姿で目の前に現れ、気づいた時には僕を骨抜きにしている。 奴とは何千回と戦ってきたが、一度も勝てたことがない。 毎度、気が緩んだタイミングを突かれる。 最近は開き直って、二日酔いの日は何もせずにグダグダと過ごす。 Uberでケンタッキーを注文し、映画を観たりして、負けてなんかないよ顔でどうにかプライドを保っている。 二日酔いで自責するのも疲れたので、気にせずに同じミスを繰り返し続けている。 「

          二日酔いの許し方

          禁煙出来ないから、noteを書く

          タバコを吸いながら、このnoteを書いてる。 愛煙家などではなく、ただ禁煙出来ずにズルズルと吸い続けてるだけである。 「なんでタバコを吸ってるんですか?」と質問されたら、 「金を浪費して、寿命を削ってます。」 としか答えられないくらい、タバコを吸い続けてる理由がない。 正直、禁煙したい。 数年前と比べて生活も変わってきてる。 外で飲むことも減ったし、喫煙所でのタバコミュニケーションも無い。 でもすぐには禁煙出来ないからせめて、タバコを吸ってる時に有意義なことをしようと、こ

          禁煙出来ないから、noteを書く

          実名でSNSをやった方がいいと思った話

          こうやってnoteやSNSに何かを投稿する時、友達など周りの目を気にしてブレーキがかかって止めてしまうことがよくある。 SNSに限らず、日常の中で「誰かの目を気にして行動に移せないのは、ダサい。」って、これまで思っていたけれど、このブレーキが大事なのではなのかもしれない。 怒っている人を「感情的になる」というけど、 自分に余裕がない時ほど周り(客観)が見えなくなり、極端に主観に偏っている状態になる。 そして主観に偏ってしまっている人は、ちょっと危険な状態でもある。 家

          実名でSNSをやった方がいいと思った話

          「分からない」と言えない

          学校では「答えを出すこと」が重要だった。 テストでは答えが間違っていたら0点。 授業で先生に当てられた時に答えられなかったら恥をかく。 就活で質問に対して明確な答えがなかったら不採用。 「分からない」は馬鹿を曝け出しているように思ってしまう。 話題に対して意見を求められて、特に知らなかったり、興味が沸かなくても本能的に「何か答えなきゃ」と思ってしまう。 僕らの中に「分からないはご法度である」と知らずのうちに刷り込まれている。 確かに返答への瞬発力であったり、明確な意見や

          「分からない」と言えない

          イジられキャラは弱者の生存戦略

          イジられキャラはイジってくれる人のセンスを搾取している。 イジられキャラは受け身さえ取っていれば、「面白い」と思ってもらえる。 イジられキャラは不労所得なのだ。 ※「イジってくれる人」って長ったらしいので、以下「イジり役」とする イジり役は「センス」を必要とするが、イジられキャラは「愛嬌」と「受け身」さえあればどうにかなる。 しかし、多くの人はイジり役になろうとする。 センスのない人が無理してイジり役を演じ、ジメっとした変な空気になってしまっている場面をたまに目撃する

          イジられキャラは弱者の生存戦略