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人の役に立てると自惚れるな
こんにちは。
みのりです。
今月2記事目です。
読んでくれているひとのためにちゃんと10記事は投稿していこうと思うので、
毎回はじめに、今月何記事目なのか記載していきます。
今月は相変わらずバタバタしていて、
結婚式でのマジシャンが2回あるので、全然落ち着くタイミングがありません。
結婚式でのマジックは毎回カスタマイズしてしまうので、
”いつも通り”みたいなのが通じないんですよね。。
まあ頑張りますね。
社内で動画編集の事業がスタートしそうなので、近いうちYouTubeも始められたらいいなあ。
さて、今日は
【人の役に立てると自惚れるな】
という厳し目なタイトルでお話しようと思います。
目的と他人に置くのは善意か逃げか
時々、疑問に思うセリフがあります。
「私は〇〇さんの役に立てればそれでいい!」
僕自身が言われる側になったこともありますが、
僕が言ったことはありません。
だからそれを言う人の気持ちが根本はわからないです。
このような無条件の愛情みたいなものは、
いわゆる推しに対して使うのであれば、理解できます。
推しには元気を与えてもらうみたいな圧倒的供給を受けているので、
無償の愛情というより、頂いたものへのささやかなお返しというニュアンスも含まれている気がするのです。
つまりギブしてもらったからお返しするよ!という順番であって、
無償の愛情とは少し違うと思っています。
人は基本的には自分の欲求が先にあって、
それを叶えるために人を使います。
例えば、
僕が長年応援している鈴木愛理さんとご飯に行ってみたいと思ったとしたら、
それは鈴木愛理さんを幸せにしたい!ではなく、
僕が幸せな気持ちになりたい!です。
このときに、前者で語ってしまう人は、
僕には、目標の達成を放棄しているように思えるのです。
目標が達成したかどうかが、
相手の感情に依存するので、あまりに成功か失敗かが見えません。
ただの愛情なんだからいいじゃないか!と言われそうではありますが、
人間というのは、ただの愛情として届けていても、見返りがないと何くそってなる生き物です。
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