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30歳になったので一回人生を振り返る/ Part1
みなさんあけましておめでとうございます。
みのりです。
現在はエンタメ会社の執行役員とマジシャンをやっています。
いきなりではありますが、新年なので30歳になった自分の人生を会社のことも個人のことも含めて時系列に沿いながら振り返ります。
なおこの記事は何かを学べるわけでもなく何か感動するわけでもありません。
筋があるわけでもなく記憶の限りのハイライトを話していくものです。
ただ自分の過去整理と、僕のファンや後輩など、僕と今後も関わるみんなに対しての自己開示であり、結果的に何かしら感じてくれることがあれば嬉しいなとは思っています。
さて現在の予定では、幼少期~大学生/新卒~転職期/コロナ禍~2024年までを分けて書いていきます。
まずは、幼少期から大学生までです。(5,500文字あります。大体10分で読めます)
茨城県で育ったサッカー少年とマジックボーイ
僕は1994年12月8日に母の里帰り先の北海道富良野市で生まれました。
三人兄弟の真ん中です。
まあ育ちは完全に茨城なので、茨城出身の方が正しさもあるのですが、いまだに北海道出身と茨城出身をその場の都合のいい方で使い分けています。
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親が鹿島アントラーズサポーターだったことと二つ上の兄がサッカーを始めたこともあり小学2年生からサッカーを始めます。
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ついでに言うと小3でバスケも始めました。
担任の先生がバスケのコーチもしていてその先生がいるからという理由で始めたのですが、センスがありすぎて半年でいい背番号をもらい、その結果チームメイトからいじめられて1年で辞めました。今でもバスケは好きです。
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小学5年生の時にマジックと出会います。
親友がダイソーで買ったマジックを見せてくれました。
そのタネがわからなかった僕はダイソーまで自転車を漕いでいき、違う商品を買ってやり返したのです。
それでハマって他の商品も買っていきました。
おそらくマジックをして驚いてくれる感じが、みのり少年の承認欲求を満たしてくれたのだと思います。そして同時期にマジシャンのセロさんの特番が多く組まれていたこともありこの世界にのめり込んでいきました。
迎えた卒業式、僕が通っていた小学校は卒業式で将来の夢を宣言するコーナーがありました。小学生の頃の感情なんてあまり覚えていないけど、ここだけはちゃんと覚えていて僕は「マジシャンになる」と「サッカー選手になる」の2択で悩んでいたんです。
心の中でマジシャンの方が強かったけど、結果的に僕は「サッカー選手になる」と言いました。
振り返ると、サッカーやってる人がみんな「サッカー選手になる」と言っていたことと、保護者含め200名くらいの前で「マジシャンになる」ということへの抵抗があったんです。
当時、「マジシャンになる」とはどんなことかも想像もついていなくて、そして誰も想像がついていないのもわかって、恥ずかしかったんだと思います。
中学に入るとマジック好きは加速していきます。
自分でトランプを買って、テクニックを覚えて、学校で披露するという日々です。
学校にトランプを持ち込むことはおそらくダメで没収対象だったんですが、僕は没収されませんでした。多分ババ抜きとかをせずに1人で扱っているだけだからペン回しと同じ部類に認定してくれてたのかもしれません。(先生ありがとう)
ELTの先生にもマジックを見せていたので、僕のあだ名は「マジックボーイ」でした。
この時代の同級生は「将来マジシャンになっていそう」だと思っていたそうです。
まだ自分の中でプロマジシャンになるなんて思ってもいません。
青春ではなかった高校時代
サッカー部の記憶以外あまりないのですが、想像していたキラキラした高校生活みたいな感じではなく、サッカー部を頑張る以外は、なんとなく勉強して、なんとなくマジックもして、なんとなくAKBにハマってみたいな感じでした。
おそらく当時はそれなりに楽しみ、それなりに苦しみ、青春として過ごしているつもりだったのですが、高校生活は甘酸っぱさもなく、サッカー部引退も泣いたけど振り返ると心を燃やしたとは言えずそれとなく終わります。
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ただ受験勉強を始めた高三の夏からは一時的に勉強にハマりました。
同時に受験期の暇つぶしからフラリッシュ(カードをくるくる回すように動かす曲芸)と鈴木愛理にハマっていきます。
その時期は一日10時間が苦じゃなく勉強できました。なんでかはわかりません。知的好奇心はあったのかもしれません。
その時期は流石に将来のことを考えて、大学の学科選びをし始めます。
当時は物理の成績が一番良く、物理の先生には「物理学科に行きなさい!」と強く言われていました。しかし「物理学科に入ったらどんな仕事につきますか?」という僕の質問に対して「先生か研究者だ」という2択だけの提示をしてきた先生によって、
物理学科への進学を選択肢から外します。(もっと広い選択肢から選びたかった)
数学系の学科にしようとも考えていましたが、数学も物理もこれ以上奥まで踏み込むと興味の範囲からはずれると思っていたので理系への進学も選択肢から外します。
(あと男女比が99:1くらいなのが嫌だったのもあります。振り返るとこれはいい視点でした。)
ただし、理系脳ではあったので、文系の学部でやっていける気もしていません。
ということで理系もやりたくない、文系もやりたくない、というところから
「地理ならできるし好きだ。」と観光学科を探します。
それで見つけたのが東洋大学の国際観光学科でした。そうして今はなきセンター試験でなんとか入学します。
入りに失敗したが、青春の大学生
大学に入って東京に出てきて、新宿が定期圏内になったことにテンションが上がります。
当時ツイッターには
#春から東洋というハッシュタグで「観光学科です!同じ学科の人仲良くしてください!LINEグループあります!」みたいなのがたくさんありました。
この流れに反対派だった僕は「ネットで先に友達作ろうとする連中とこれから一緒に過ごすのか」と嫌な気持ちになりながら初日を迎えます。
初日の教室前には「あー!〇〇ちゃん!?私〇〇!よろしくねー!」という会話でラインに入っている人たちの交流が始まっていました。
当然ながらその会話に入れない僕は見事にスタートダッシュに遅れて1週間1人で過ごします。そんなぼっちの僕をみかねた、のちの親友がランチに誘ってくれてぼっちを打破します。
その彼は東京では有名な料亭の息子で、その後4年間仲良く過ごします。
彼はお金持ちですが、性格もいい奴で志を持って入学していて、スポーツが出来てイケメンでした。おそらく勉強的にはもっと上の大学に行けたけど、ちゃんと学科の内容をみて入ってきたタイプです。彼みたいな男に負けてはいけないと思ったところから僕の恋愛に対する言語化も進んできたのだと思います。(後のTikTokの動画アイデアが貯まる)
当時は、観光学科がある大学がそんなに多くなかったので、勉強できる人が旅行会社に勤めるためや、地域創生をしたかったり、CAになりたかったり、ホスピタリティを学びにきたりと、目的ある人が多かったんです。そんな中僕はかなりふわっとしていました。当時は、なんとなく旅行会社に入るかもなあくらい。
それでも受験期の思惑通り、観光学科の勉強は結構好きで、1年生の時になんとなくで国内旅行業務取扱管理者という国家資格を取ります。
資格取ったし、旅行会社入るかもなああという気持ちもさらに強くなります。
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サークルはステージマジックサークルとフットサルサークルに入ります。
どちらかというと好きなのはフットサルサークルでした。
なんだか大学生っぽかったし、先輩みんなかっこよかったし。
マジックサークルは4年生は引退後でほぼきてなくて、3年生はなんだか仲悪そうな雰囲気で、なんか空気的にいいサークルとは思えなったんですよね。
しかもステージマジックという舞台で行う系のマジックに興味はなく先輩にもトランプマジックが出来る人はほぼいなくて最初は面白いとも思えていませんでした。
でも徐々にステージマジックの魅力に取り憑かれてのめり込んでいきます、
先輩の舞台をみて、「カッケー!こんな世界があるのか!」と思ってから、自分が出るまで練習する日々が続きます。
大学の夏休みは9時に大学来て23時に帰るみたいな日々が続きます。
マジックサークルの練習とか舞台とか想像しにくいと思いますが、
「このサークル出身ならブラック企業でもやっていける」と言われるくらいには、先輩やOBから厳しい指摘が届きます。誰かが泣いているなんてのは結構あるあるです。それだけ厳しい分、舞台に立った後の達成感があるのかもしれません。
そうして取り組んできた2年生の時の舞台は見事に失敗に終わりました。
それなりに落ち込みました。舞台袖で膝から崩れ落ちました。
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関東大学奇術連盟という関東の大学の選手権みたいなものがあるんですが、それの選抜からも漏れ、この一日のために頑張ってきた1年半は脆く崩れてしまいました。
なんとなく生きてきてそれなりに上手くいってきてしまった僕の人生の中で、のめり込むようにハマったのがマジックで、それを部活のように取り組んできた大学生活。それでも大学生から始めた人たちに負けました。
負けたことよりも時間をかけて、想いも込めた舞台が失敗で終わることの悔しさは今でも覚えています。スポットライトの光に呑まれていく感覚がありました。
切り替えて3年で会長に就任して、もう一度舞台に挑みます。
会長時代は、ある先輩の恨みをかい本番一ヶ月前に道具を全部壊されたりと色々あって、歴代一番不幸な会長と言われながらなんとか結果的にはリベンジでき選抜に選ばれました。
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大学のサークルなんてと言われれば、たしかに単位は大きくないけれど、小さい界隈の中ではかなり熱量を持って各大学が努力していて、そこのは多くの人の青春があります。実際マジック界のオリンピック代表はこの大学マジックサークルから多く輩出されています。人生の中のハイライトになり得る青春の日々を過ごしました。
その後、その演技を評価してもらい、ちょこちょこ舞台に出演したりして、なんだかんだでステージマジック界隈では名前が通るようになってきた気がしてます。
知らない地方の大学生からDMが届いたり、僕の演技を真似してくれた演技が出てきたりしてました。(真似したいです、とDMきたりしてたので、全部OKにしてました)
マジシャンとしての活動と就職活動
現在につながるプロ活動の一歩目は、サークル出身でプロマジシャンになった先輩から「今度マジシャンが2名必要な依頼があるんだけど、一緒にいってみる?」と言われて参加したことがスタートでした。
マジックを40分くらい演じて2万円頂きました。
当時東京で時給900円で飲食で働いていた僕にとっては、「好きなマジックがお金になるなんてすげええ」と心が躍ったことを覚えています。
その後、フェイスブックメッセンジャーで飲食店に対して「お店でマジックやらせてください!」とメッセージを送りまくり3,4アポ取ってお店に行き、「ここでやるのはいいよ」と言ってもらえました。
しかし当時の僕は「マジックをやらせてください!」とは言ったものの、どうやれるのか、集客は誰がするのか、告知はどうするのか、などの戦略ゼロだったため、あまり結果に結び付かずに終わります。
その後、知り合いのマジシャンに飲食店をチップ制で回っているグループを紹介してもらい、そこでマジシャン活動を始めます。
当時の僕は
マジックで稼ぎたい(大学3年で引っ越したので新しいバイトを始めたくなかった)
ステージマジックに時間とお金を使いたい(タイパ重視)
夜中は働きたくない(寝たい)
と思っていたので、生活にマッチしていて、月に8回/一日4時間で月に20~30万くらい稼いでいました。時給6000円~10,000円くらいだったので、この浮いた時間を存分にステージマジックに注げました。(あとそれなりに飲みにもいってました)
卒業後もステージマジックを続けたいという想いから、就職に関しては土日休みが絶対条件になっていました。その時点で観光業界の多くは選択肢から外れることになり、業界探しをします。
あ、「そもそもマジシャンにならないのか?」というのは当時からよくいただいた質問なのですが、当時の僕にはマジシャンでやっていける未来が全く見えていませんでした。そしてやっていきたいとも思っていませんでした。
それは、将来どうなっていたいかを考えた時に下のような絶対条件が見えたからです。
将来は子供や後輩の質問に対して、求められている抽象度で回答を返せる大人になる。
僕からみて尊敬の対象になる人は、質問に対する回答がズレない人でした。そしてなんでも質問が集まる人でした。
そのためには広く浅くでもいいから世の中を知らないといけない。おそらく就職せずにマジシャンをやって、成功していたとしても考えや経験が偏った人になるだろう。そうすると幅広い相談はこないし、きたとしても具体的な回答ではなく、抽象的な話しかできないだろう。それは芸人としては正しいけど、僕の理想の大人とはズレるな。
そんなことや他のことも含めて、法人営業かつ無形商材かつ業界特化ではないところに行こうと決めて人材会社に就職活動を行うのでした。
まあなんとか就職活動を終えて、希望通り、人材会社にて法人営業に従事することが決まります。
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さて、今日はここまでです。
社会人になってからどう僕自身が変化していくのかは、また次にお話しします!
最後まで読んでくださりありがとうございましたー!