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続・太田道灌という武将を知る その3
続・太田道灌もその3になりました。次回が最終回の予定ですので、もう少しお付き合いのほど、よろしくお願いいたします(笑)。
前回は、伊勢原市下糟屋にある丸山城址公園を歩き、太田道灌が活躍した時代を想像しました。今回は太田道灌の首塚と胴塚をつなぐ大山街道歩きの様子をnoteしたいと思います。江戸時代に庶民の間で人気のあった大山詣。多くの人が歩いたであろう大山街道はだいぶ姿を変えていますが、ところどころで当時の様子を垣間見ることもできました。
下糟屋にある首塚から上粕屋にある胴塚までは、大山街道を歩いて約3kmの道のりです。その大山街道の道案内をしてくれるのは「ホントに歩く大山街道」という本です。いまではスマートフォンに目的地を入力すればGPSで道案内をしてくれますが、こういった本を片手に道や目標物を探しながら歩くのもまるで宝探しをしているようでとても楽しいです。この本には、赤坂御門から大山までの道案内が記されており、いつか踏破したいと密かに思っています。
大山街道を歩く
下糟屋の太田道灌公首塚から丸山城址公園を歩き、東海大学病院の麓の細い道を歩きます。この道は細い道でありながら、道路沿いには古くからの民家が並んでいます。大学病院に勤務していたころは特に意識していませんでしたが、なかなか味のある道です。この道は、東海道の裏街道として発達した矢倉沢往還と呼ばれる道。今では国道246号線が並走するように走っています。赤坂御門から始まる大山街道は、この伊勢原まで矢倉沢往還を利用していました。
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東海大学病院の前を通り過ぎ市米橋にたどり着きます。ここで矢倉沢往還と別れ、大山へ向かいます。この橋のたもとには、咳止め地蔵があります。ここを流れる渋田川を農業用用水確保のために堰き止めたのだそうです。堰き止め→咳止めとなり、現在に至るとのこと。当院の近くにも淀橋咳止め地蔵があります。近くに神田川もありますし、もしかしたら同じような由縁があったりして?現在世界で流行している咳病が一日も早く収束することを祈るのでした。
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ホントに歩く大山街道には、この先の道は未舗装で狭く、両脇に果樹園が広がる道で不安になりながら歩いたと記載されていました。実際に歩いてみると、本が発売された10年前と変わらず今でも果樹園は残っており、おかげで私はすこし嬉しくなりながら歩くことができました。その先に進むと、三軒茶屋に到着します。
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手作り感の温かみのある三軒茶屋です。かつてはここは大山詣の他にも金目観音、飯山観音、日向薬師、七沢、荻野へ向かう多くの人が行き交う賑やかなところだったそうです。そこには三軒のお茶屋さんがあったのでしょうね。東京にも三軒茶屋という地名があります。こちらの三軒茶屋も、大山街道に三軒のお茶屋さんがあったことからそのような地名になりました。今でもそこには大山街道の道標が残されています。
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緩やかな上り坂をしばらく歩くと、大山街道は東名高速道路にぶつかります。ちょうど大山街道が通っていたところには、アンダーパスが設けられていました。ここが大山街道とわかるように、赤いステッカーがあります。このステッカーは、川崎市高津区の大山街道活性化推進協議会が作成したものだそうで、伊勢原市の活動団体と協力して貼っているようです。このステッカーが赤坂から大山まで貼られると良いのになと思いますね。
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東名高速をくぐると、石造物が道案内をしてくれます。
だんだんと人通りが少ない道になりますが、かつての雰囲気が良く残っている道。千石堰用水という水路沿いに歩いていきます。
千石堰用水では、昔は蛍も見ることができたのだそうです。
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三所石橋供養塔につきました。
この用水路に3か所あった石橋の供養塔です。石橋も供養したのですね。物を大切にする日本人らしいと思っちゃいました。橋の供養塔というのは他の地域でもあるのだそうです。村や地域の境界には様々な霊がたむろすところと考えられていて、川は境界となることが多かったようです。その境界にかけられた橋は供養の対象となるのでしょうね。道の境界には道祖神を見かけます。
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徐々に勾配が強くなってきます。正面に大山を見える道を歩きます。
洞昌院、胴塚へ
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洞昌院にたどり着きました。こちらは上杉氏と関わりのあったお寺で、太田道灌が開いたと聞いています。室町時代後期は、とても重要な場所だった伊勢原市です。
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洞昌院のすぐそばに太田道灌公霊地、胴塚があります。長年伊勢原で仕事をしてきましたが、この地へ訪れたのは初めてです。
次回(最終回)は胴塚とその周辺を散策します。