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続・太田道灌という武将を知る その4
ある土曜日の診療後、街を歩いていたら飲食店から懐かしいメロディーが聞こえてきました。
「目と目で通じあっう~♬」
その世代の方なら確実に聞き覚えのある歌詞。ついつい口ずさんでしまい、さらには手ぶりなんかも覚えていたりして。しばらく頭の中から離れない。
・・・しかし、いくら思い出そうとしても曲名が思い出せないのでありました(笑)
さて、道草note始めましょう。
太田道灌公霊地 胴塚へ
伊勢原市下糟屋には大慈寺があり、太田道灌の首塚がありました。そこから大山街道をあるき、上粕屋にある胴塚へたどり着きました。
首塚を訪れた様子はその1で
大山街道を歩いた様子はその3で
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首塚もそうでしたが、こちらも静かな場所にありました。お邪魔させていただきます。
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首塚と同様、胴塚もとても静かな場所でした。お墓にはきれいな花が生けられ、宝珠印塔とともに大切にされてきた印象をうけます。周辺の住民からは”道灌さん”と親しまれているそうです。お参りした後、周辺を見回してみるとたくさんの石造物がありました。大山街道は昔から大山詣のみでなく、商人の行き来や住民の生活道路としても大変重要な役割を果たしてきました。その街道沿いには鎮守社や寺院があり、民家もあつまり大きな集落を形成し街となりました。現在の主要な道路もそのような旧街道を利用し、街と街を結んでいます。昔と違う点は、車社会になったことでしょうか。それにあわせて道路の拡張工事が行われ、その際に道端にあった石造物は移設されました。かつての大山街道は幅2間(約3.6m)という記録が多いようです。歩くのには十分ですが、車がすれ違うのには狭いですよね。区画整理により移設の必要が生じた石造物は、この胴塚のように近くの寺社や地域センターなどにまとめて置かれています。新宿区は開発に次ぐ開発で、旧街道の面影のある道はほとんど見られません。ですが、西新宿には立派な庚申堂がいまでも残り、地域の人々に大切にされています。
もう一つ気になる物を見つけました。
それが太田道灌公之墓と記された石柱。普通に正面からみると何も違和感はありませんが、側面を見てみると、「八王子麻生」という文字が逆さまにほらています。これは八王子の麻生さんが寄贈したものなのか、はたまたどこかの神社の鳥居か何かを再利用しているものなのか?謎ですね。真相が気になって仕方ありません。
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胴塚を後にして、少し歩くと七人塚があります。
七人塚
江戸城の築城で有名な太田道灌が、主君上杉定正に「道灌、謀叛心あり」と疑われ、定正の糟屋館に招かれ、刺客によって暗殺されました。そのとき上杉方の攻撃を一手に引き受けて討ち死にした道灌の家臣7名の墓で「七人塚」と伝えられています。この塚は、上粕屋神社の境内の杉林の中に7つ並んでいましたが、明治の末に開墾するとき一つ残された伴頭のものといわれ、今でも七人塚と呼ばれています。
この七人塚の中央にあるのがここに記載されている伴頭のお墓なのでしょうね。いくつかの石造物が並んでいてはっきりと確認できなかったのがちょっと残念でしたが、七人塚にもお参りできました。
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いつまでもそのままであってほしい上粕屋神社の景色
七人塚を過ぎた先には上粕屋神社があります。ここもまた太田道灌にゆかりのある神社です。先ほど訪れた七人塚は、この上粕屋神社にあったのですね。
上粕屋神社の存在は全く知らなかったので、この存在感には圧倒されました。パワースポットと言っても過言のない静寂とした空気。深呼吸をすると心の底から清められるような感触があります。お参拝して振り返えると、木々に囲まれた長い参道が目に入りました。この景色はかなり昔からほとんど変わることなくそのまま残っているのではないでしょうか。これからもこの景色が残されるよう祈っています。
伊勢原市は霊峰大山、阿夫利神社があり、相模国三宮比々多神社、北条政子も訪れたとされる日向薬師、延喜式内高部屋神社、そしてこの上粕屋神社と、小さな市なのですが古くから由緒のある神社がたくさんありました。伊勢原という名前もなんとなく格式が感じられます。神奈川県内でもっとも神々が集う市ではないかと思いました。
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上粕屋神社から大山街道にもどり、再び歩きます。千石堰用水沿いの道標には大山道と記されていました。大山も目と鼻の先です。
その先には道端に不思議な石造物がありました。これはなんでしょう。ものすごく気になってしまいました。
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石倉橋を探して。
本日の最終目的地、石倉橋交差点に到着しました。石倉橋交差点は数々の大山街道が集まる場所。現在では、第二東名のインターチェンジもこの石倉橋交差点の近くに開通しました。時代を超えて、交通の要衝となる場所ですね。
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さて、石倉橋交差点というからには、そこには石倉橋があるのだろうと考えた、今回の街道歩きにご同行いただいた加藤さん。最後に石倉橋を探してみることとなりました。
石倉橋交差点の近くに流れる川は鈴川です。鈴川は大山から流れる川。この川にかかる橋が石倉橋ではないかと検討をつけて探し始めます。
まず最初に見つけた橋。残念ながら崖下橋という橋でした。
スマートフォンの地図アプリを確認しながら、また別の近くの橋を探します。
次に見つけたのは竹の内橋。こちらも残念ながら石倉橋ではありませんでした。これ以上該当しそうな橋は見つからず、この日は幻の石倉橋ということで、石倉橋バス停から帰路に着きました。
バスに乗ると伊勢原駅まで20分程度で到着。何時間もかけて歩いた伊勢原散策でしたので、バスってなんて便利なんだろうと実感しました。
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幻の石倉橋がどうしても気になり、後日、改めて石倉橋について調べてみました。
撮影した写真を見返してみると、三所石橋供養塔にあった案内板に石倉橋のことが記載されていました。この三か所あった石橋は鈴川ではなく千石堰用水にかかる橋で、その一つが石倉橋だったようです。ちょうど石倉橋交差点の近くで千石堰用水を渡る橋があり、それが石倉橋とのこと。今はその場所はどうなっているのかと言いますと、用水路は暗渠になって橋は無くなっているようです。いくら探しても橋が無いわけですね。その暗渠になっている場所が、ちょうどあの謎の石造物があった場所です。あの石造物の置かれた場所は確かに暗渠らしかったですね。もしかしたらあの石造物は石倉橋の親柱なのかもしれないと、大山街道にロマンを感じたりするのでした。
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おわりに
4回にわたってお付き合いいただいた伊勢原での街歩きでした。太田道灌につながる史跡と大山街道を中心に歩いてみました。伊勢原市には学生時代から長い間関わってきましたが、今回は訪れたことのなかった場所に行くことができ、いままで気が付かなかったこの街のすばらしさを知ることができました。少し道草をしながらゆっくり歩いてみると、小さな気づきに出会います。その小さな気づきが少しづつつながって、やがて大きな世界に広がります。今回の街歩きではまさにそんな体験をすることができました。普段、なにげなく目にしているもの、古くから残されているものには、それなりにの理由があるものです。それは建築物だけではありません。日本のことわざやおばあちゃんの知恵袋で伝えられてきたようなこと、医療の分野でも忘れてはいけない大切な教えがありますね。忙しい世の中ではありますが、少し立ち止まって足元を見つめてみることも時には必要だと思いました。