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太田道灌という武将を知る。
おつかれ生です。
ビール大好きな私が最近は待っているマルエフ生ビール。疲れたときに生き返る一杯。3月も頑張っていきましょう。
さて、今回は太田道灌という武将について、道草してみました。
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先日の新宿さんぽで訪れた新宿中央公園で見かけた久遠の像。太田道灌にまつわるお話で有名な山吹の里伝説の一幕です。
太田道灌、ご存知でしょうか。
太田道灌と言えば、江戸城を築城した人物として知られています。私が大学時代を過ごした伊勢原市では道灌まつりというお祭りもあります。
文武に秀でた武将と言われ名前は聞いたことがあるのですが、日本史や歴史小説、戦国時代を舞台にしたゲームでもあまり遭遇する機会もなく、その実績についてはあまりよく知りませんでした。ある意味、私にとっての謎武将。そんな太田道灌がいろいろなところで引っかかるようになりまして、これはちょっと調べてみようと思ったわけでした。
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やってきたのは日比谷公園です。どうやらこちらの日比谷図書文化館に江戸城の展示に関連して太田道灌に関する解説があるらしい。
日比谷公園へはなかなか行く機会がなかったので、まずはすこし日比谷公園さんぽから。
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調べてみると、日比谷公園には様々な碑があるんですね。おどろきです。
入口から少し歩いたところで出会った京橋の欄干柱。開発の際にこちらに移設されたのでしょうね。
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こちらは松本楼。この日は結婚式が行われるようでした。
日比谷公園は、もともとは陸軍近衛師団の練兵場でした。1902年に開園し、同年に松本楼も営業をはじめています。関東大震災で焼失したそうですが再建され、戦後はGHQにより米軍宿舎としても利用されました。
激動の時代を見てきた松本楼なのですね。いつか食事する機会に恵まれますように。
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おっと、なぜか埴輪が。
宮崎県立平和台公園から贈られたものだそうです。
日比谷はもともとは海が入り込んだ入江でしたので、ここから埴輪が出土するということはおそらく無いのかな。
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高層ビルが立ち並ぶ都会の真ん中。芝生広場の奥には噴水があります。都会のオアシスという感じです。
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さてさて、日比谷公園さんぽはこれくらいにしまして、本日のお目当ての日比谷図書文化館に到着しました。
残念ながら館内は撮影禁止でしたので、記憶を頼りに太田道灌レポートをしてみます。
太田道灌(1432-1486)は室町時代の武将。その頃の関東地方には関東管領の山内上杉氏と、補佐として鎌倉公方の足利氏がいました。両氏の間にはいろいろとあり、ついには足利成氏が山内上杉憲忠を殺害してしまいます。その後、享徳の乱となり、関東地方は戦国時代へと移行します。
関東地方の東側に足利氏、西側に山内・扇谷上杉氏にわかれ対立が続きます。太田道灌は扇谷上杉氏の家宰として活躍し、その際に手掛けたのが重要な地であった川越城、江戸城を築城です。その後、太田道灌は長尾影春の乱でも大活躍をし、その威厳は増す一方となった。その勢いを恐れた主君である扇谷上杉定正により、太田道灌は暗殺されてしまうのでした。
その後、両上杉氏での争いが活発となり、やがて小田原北条氏が関東地方に勢力を伸ばしていくのでした。
なるほど。太田道灌はそのような時代背景で活躍した武将だったのですね。おかげ様でよくわかりました。
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日比谷公園さんぽはまたのお楽しみにして、最後にかつてGHQ本部のおかれていた第一生命館をお濠越しに眺めました。
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太田道灌のことを調べてみると、もっとも有名な伝説として山吹の里のお話がでてきます。山吹の里伝説とは、太田道灌が鷹狩に出かけたときのお話です。
太田道灌が鷹狩に出かけた際に雨にあい、農家の若い娘に蓑を借りようとした時、その娘は山吹を一枝差し出し「七重八重 花は咲けども 山吹の みの(蓑)ひとつだに 無きぞ悲しき」と答えるのでした。その意味を理解できなかった道灌は、後日御拾遺集の古歌にかけたものだと知り、それ以来自分の無学を恥て和歌の勉強に励んだそうです。
その山吹の里がどこなのかは、定かではなく、諸説あります。その一つが面影橋の近くにある山吹の里碑あたりです。
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この碑には、よく見ると山吹の里の下に文字が掘られているのがわかります。案内板によりますと、1686年に建立された供養塔を転用したもののようです。
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新しくマンションが造られた一画に大切に保存された山吹の里碑。隣には山吹も植えられていました。
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面影橋のあたりは神田川沿いにとてもきれいに桜が咲きますね。あと1週間後には東京で桜の開花が始まりますでしょうか。
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都電も元気に走っています。都電荒川線は、さくらトラムとも呼ばれています。桜を眺めながら、終点までのんびりと車窓を楽しむなんて時間の使い方もあこがれます。いつかやってみたい。
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面影橋から東新宿へ向かう途中、ちょっと気になる階段を見つけました。
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眼に入って気になったのはこちら。支柱の上に馬頭が。
高田馬場にちなんだデザインでしょうか。こういうものの周りには、そのヒントがあるのではと思い見回してみましたら、こんなのを見つけました。
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1964年東京オリンピックを記念した国旗掲揚塔です。塔はありませんでしたが、当時の面影を感じることができて、いつまでも残ってほしいですね。ちなみに、新宿区諏訪町という町名は無くなってしまったそうです。
もしかしたらこの辺りで馬術競技が?とも思いましたが、私が調べた限りでは関係なさそうでした。やはり高田馬場との関係でしょうかね。
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東新宿駅の近くの西向天神社に着きました。今年2度目。
この神社の参道の左手に目的地があります。
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急な階段を上ります。この階段は山吹坂と名付けられているのですね。
ここにあるのが大聖院です。こちらでは江戸時代の古文書が見つかり、昔の大久保の様子や紅皿の墓のことに関する記載が確認されているのだそうです。
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大聖院のやや奥、正確には駐車場の一画に、紅皿の墓はありました。
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紅皿とは、山吹の里で太田道灌に山吹の枝を差し出した女性です。その後、太田道灌は紅皿を和歌の相手として呼んでいます。
太田道灌の暗殺の報せを聞いた紅皿は、尼となりこの大久保の地で生涯を閉じました。そのお墓は今でもこうして大切にされています。
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太田道灌は、伊勢原市に首塚と胴塚があります。実は最近、大山街道に興味をもちまして、いつか歩いてみたいと思っています。私が育った厚木市や伊勢原市、平塚市には今もなお街道が残っています。その街道を歩いていくと、太田道灌ゆかりの地にもたどり着くことができます。また一つ楽しみが増えました。
さいごに
私にとっては謎に包まれた武将太田道灌について調べ、その活躍を知ることができました。しかし、その活躍よりも、山吹の里伝説の方が有名になっていることに驚きを感じます。この伝説は、戦前には中学校の国語の教科書に載っていたそうで、おそらくその時代には誰もが知ることだったのだろうと思いました。また、江戸時代には太田道灌雄飛録という書物も人気があったようですので、そのころから山吹の里がどこかという議論も盛り上がったのかもしれませんね。いずれにしても、太田道灌は多くの人があこがれる存在であったことには間違いありません。いつの日か大河ドラマになったら良いなと思うのでした。