【新宿さんぽ その1】この道、都電の名残なんですね。
様々な顔を持つ街、新宿。
そんな新宿をすこしゆっくり歩いてみると、ひと昔前の様子を感じることができました。
「道草の声」というマガジンにふさわしく、一発目はのんびりと新宿の街を歩いてみました。土木関係のお仕事をしている友人さんに、これってまさにブラ〇モリ?さながらの案内をしていただきまして、ディープな沼にはまっていく予感を感じずにはいられない一日になりました。ボリューム満点ですので、何回かに分けてお届けします。
新宿さんぽ、第一回目は新宿駅の東口側で道草です。
待ち合わせは新宿駅西口から
新宿駅西口地下広場。
きれいな青空、まさにさんぽ日和ですね。
ここからスタートです。
地下へ車が下りるこのスロープ。この曲線が手作り感があって土木好きの友人はそそられるのだそうです。いつも気にしていなかった構造物ですが、そういう目で見てみると面白いですね。
この道草は、こんな感じで始まりました。
地上に出て、カリヨン橋へ。新宿駅西口はこれから再開発されていきます。現在は明治安田生命新宿ビルが取り壊されました。次は小田急デパートのあたりが再開発となります。この景色も何年後かにはすっかり変わってしまうのですね。地下駐車場からの出口、換気口がこうやって見るとなかなかおしゃれですよね。いままで少しも気にしていなかったけど。
旧青梅街道を通り、東口へ向かいます。新宿駅東西自由通路ができ、かなり便利になりました。それまではこの旧青梅街道を利用して西口から東口へ移動しましたね。左手は思い出横丁。戦後、このあたりには闇市があり、今もその姿が残されています。
青梅街道の宿場町が記された高架下をくぐると、東口です。
東口といえばアルタ。一方、新宿西口と言えばヨドバシカメラだったな、とそんな時代を懐かしみながら(今もありますが当時に比べると印象は薄くなりつつありますね)、歌舞伎町方面に歩いてきました。
西部新宿駅がこの場所になったいきさつなどを聞きながら、いずれ新宿駅と直結される可能性があると聞きました。直結されたら便利になるでしょうね、と思いきや、もしかしたらホームはそのままで、歩道でつなげて直結ということになるかもと。業界的にはよくある方法とか。たしかに、そういう駅、ありますよね。
ちなみに歌舞伎町では道草せずに通過しました。
都電の面影が残る四季の路
たどり着いた場所は四季の路です。新宿区役所から新宿区民文化会館へ向かう遊歩道となっています。ゴールデン街へのアクセスにも利用されることが多いかもしれませんね。
緩やかなカーブと起伏のあるこの道。さて、もともとは何に利用されていたでしょう?
友人からのクエスチョン。
直観的に川!って思いましたがハズレ。
まるで川沿いを歩いているような雰囲気なのですけどね、川にしては起伏がある。なんだろう??
タイトルからお気づきだと思いますが、正解は都電です。
かつて、ここを都電が走っていたのですね。
四季の路を歩いていくと、こんな感じで左右で段差のあるところもありました。ここをしばらく眺めていると、目の前に都電が走っている姿が浮かんでくるようでした。頭の中では、ガタンゴトンと走行音も聞こえてきました。
今昔マップというサイトで昔の地図と比較してみました。
右側が現在、赤丸のなかの緩やかにカーブしている道が四季の路です。
左側は戦前の地図ですが、ちょうど四季の路の場所に都電が走っていることがわかります。この路線は、文化センターの前を通って抜弁天にむかっているんですね。ここは、通る度にちょっと気になっていた道でした。そういう歴史があったということに気づくことができました。
次は、花園神社へ向かいます。
(新宿さんぽはその2へ続きますが。。)
後日、四季の路のその先を歩いてみました。
この日の新宿さんぽは、四季の路から花園神社へ向かいましたが、どうにも都電が気になってしまって、後日、四季の路から抜弁天への路を散策してみました。
四季の路を抜けると、日清食品本社ビルのある新宿六丁目交差点に続く道に出ます。この道はTOHOシネマズの北側を走るのですが、この道も緩やかなカーブをしているんですよね。都電?と思ったら、こちらはかつては蟹川という川が流れていたそうです。この蟹川の流れに沿って、都電は走っていたのですね。
新宿六丁目交差点から、抜弁天方面へ向かいます。
この広い歩道の下には下水が流れているようですが、川の名残もあるのでしょうか。先日の新宿さんぽの影響でしょう(笑)。そんなことを想像しながら歩きます。それにしても、この歩道は広いなぁ。一方通行の車道(植え込みの左側)に比べて、歩道の方が広そうな気もします。歩きやすい道です。
新宿文化センターに到着しました。
こちらは都電の大久保車庫の跡地に建設されたんだそうです。四季の路には文化センターへの近道と書いてありましたが、そういう繋がりのある路だったのですね。
新宿文化センターからさらに先へ進むと、車道と歩道の段差が顕著になってきました。都電はこの坂を上って走っていたのでしょうね。歩道側は、もしかしたら蟹川だったのかもしれません。蟹川はここから北側に向かい、神田川に流れ込んでいたようです。この段差も何気なく印象に残っていた場所でした。
文化センターの近くの案内板を見ると、この道の姿がよくわかります。この先には古来からこの地にある西向天神社があるのですね。昔を知ることのできる何かがあるかもしれません。
東大久保村の鎮守社、西向天神社
西向天神社に到着しました。
すこし路地へ入ったところに静かに佇んでいました。それでいて大切にされてきたことが伝わってきます。
大宰府の方向を向いている天神のため、このように呼ばれてきたのだそうです。たしかに、神社って南向き、東向きが多いですよね。神社の向いている方向を気にするだけでも、ちょっとした散歩も一味加わりますね。
神社の境内に、児童公園がありました。
私も子供の頃は神社にあるブランコや滑り台でよく遊びました。最近、このような神社を見かけなくなってきた気がします。ふと昔懐かしく思い出しました。こういう神社には、きっと小さい子供たちが多く集まることでしょう。子供たちの楽しそうな声が聞こえてくるようです。こういう場所は、地域の交流の場として貴重ですね。これからもこのままの姿で残ってほしいですね。
神社の境内には石碑がいくつもありました。
上の写真の石碑はなんと書いてあるのだろう?「百度石」でしょうか。
「百度石」と調べてみると、お百度さんのときに、本殿とこの石を行き来するのだそうです。なるほど。しかし、この場所だと参道から外れているようですので、移設されたのかな?
下は藤圭子さんの「新宿の女」の歌碑。こちらははっきりと読み取れます。
しかし、なぜ西向天神社にこの歌碑が??
どうやら、ここで歌の発売キャンペーンの出陣式が行われたとのことでした。そのキャンペーン、「新宿25時間キャンペーン」と称して飲み屋街をぶっ続けで回ったそうです。昭和44年の出来事でした。
このすぐ近くには、太田道灌の山吹の里伝説に由来する紅皿碑もあるのだとか。今度近くへ訪れたときには探してみたいと思います。
こちらは富士塚です。
金網に囲まれて実際に登ることはできませんが、その姿は拝むことができました。
遠くにコクーンタワーも見えるんですね。これはなかなかの景観だと思います。
新宿さんぽ その2では、花園神社へ向かいます。
まずは新宿西口からスタートして、東口を歩いてみました。普段歩いている場所にこんな歴史があったんだと気づくことができました。特に都電にとても興味が湧いている自分に気が付きました。荒川線はまだ健在ですし、他にもその痕跡が残る場所に訪れてみたいと思います。
このような知識に長けた友人のおかげで、とても楽しく新宿を歩くことができました。さらにはちょっと自分で寄り道するほどです(笑)。次は花園神社へ向かいます。まだまだ続きます。