オリンピック三昧野郎は、街に行き交う彼らを観測する
こんにちは。
ケニアに来てから、半年が経ちました。
6月末から始まった財政法案への抗議活動は、各々が抱える不平不満の声をあげる形で飛び火していきました。その声を拾い上げるメディアには、ケニア政府や大統領府、その他政府機関に対する強い非難と切実な要求を訴える言葉が並び、ケニア人の本音が垣間見えました。人口の7割近くが30歳以下というケニアは、子どもや学生、若者をターゲットにした政策が多く採られているものの、あまり上手くいってないことが分かります。それは、ケニアでは社会問題が容易に露見されるからだと思いました。
日本にいると、周りの生活環境から社会問題を観測するのが難しいと思います。例えば、「ヤングケアラー」「老老介護」「8050問題」など、介護福祉の分野で日本は社会問題が多いようです。ここで強調したいのは、どれだけの人がそれらの社会問題を観測しているかということです。少なくとも私は、新潟で18年近く生活していましたが、一度も観測したことがありませんでした。それは、注意力や観察力の欠陥など、個人の意識レベルや生活環境に起因するかもしれません。ただ、観測しづらいという点は、個人の問題ではなく社会に問題があると思いました。
一方で、観測しづらいということは、社会に表面化しなくとも対処できているという見方もできるように思いました。もちろん、上記の社会問題には当てはまらないです。ケニアでは、物乞いや「Jua kali」と呼ばれる路上売り、平日の昼間に黄昏ている人、レストランで客よりスタッフの数が多いなど、あちこちに観測できます。彼らを通して、労働市場の過剰供給の状態から雇用問題、インフォーマルセクターでの不完全な経済活動、低賃金の雇用環境などケニア全体で抱える社会問題が容易に想像できます。実際に、今回の抗議活動を主導していたのは、そういった生活苦を引きずってきた若者たちでした。抗議活動は、多くの人に社会問題を観測してもらうという点で有効的かもしれません。ただ、これだけ大規模化して、世論や政府に影響を与えたのはケニアだったからだと思います。
今回は、社会問題の観測について、ケニアと日本のケースを取り上げました。半年のケニア生活で、困っている人をたくさん見てきました。それに対して、長い日本の生活の中で、どれくらい困っている人がいただろうか、とふと思い返していました。おそらく、自分の眼鏡のピントが合っていなかったのか、ケニアでは裸眼でもよく見えるようです。どちらにしても、いつも自分の見えている世界は狭く、さらに日常生活はもっと狭い中で、完結していると思いました。
ケニアは、もう少し肌寒い日が続きます。それでは。
タイトルは、最近あるアニメを見たので、影響されています。笑