物語を書き始める。
これまで
書きたいように、
書きたくないときは書かずに
ぽつっぽつっと
投稿してきたものがたりを
本式に書き進めていこうと思った。
今日。
かいていけるきがした。
それは、
書く理由、書く目的が、
これまでよりも、ややはっきりと
浮かび上がってきたからかも
***
今日は
台風が近づいて雨天。
樹木の伐採の仕事には出られず、
会社からは
離島の社宅の整頓・清掃も任されていたので、
雨天のこの機会に
布団を移動したり、
部屋を箒ではいたりしていた。
***
仕事をしながら、
砂漠の民に思いを馳せていた。
きっと、違う暮らし。
朝起きてから、寝るまで
違うことをして
違うものを食べ
違う顔をして
全然違うことに怒って。
全然違うことに悲しんで、
眠りにつく。
そんな人の暮らしを、
仕事の休憩時間に
甘いパンをかじりながら
うちは思っていた。
共通した喜びの顔があるんだろうなって。
うちはその喜びを絵に描きたい
物語に残したい
そう思った。
喜びには、
どこに住んでいても
何歳でも
どんな文化でも
普遍的なものがあるんだと思った。
それは「食事」とか「生存」とか「性行為」とかいう
行為の名前ではなくて
絵に描けるような
「こういうときの、こういう顔。」
それを絵に。
物語に、写し、
描けたら。
生き生きとしているんじゃないかな。
と思って。
物語の中の人も。
読んだ人の心の中で踊るこびとも
当たり前に嬉しいこと
当たり前にわくわくすること
当たり前に安心すること。
そういうことを精細に
描けたら。
たとえ、絵にデフォルメが効いていたとしても、
それを描けたら。
どんな「リアル」よりもきっと
役に立つ。
心と手をつなぐ。
そう思った。
***
意味を汲むのが大変な
難しいことばのやりとりや
読み取るのにエネルギーを要する
複雑な空気感などではなく
当たり前に人間が感じることの例を
物語に落とし込めたら。
「伝わる」っていうことは、
そういうことなんじゃないかな、
と思った。
当たり前な、普遍的な、
人間の体の感覚を
えがいてみよう
自分の体に、思い出に
耳を澄ませて。
27 years old,10.5,Mizuki