アルコールと会話のはなし
アルコールなしで、人と話がしたい。
近頃の反省と、昔の追憶と、
漫画「異国日記」9巻を読んで、
そう思った。
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先日、アルコールを飲み過ぎた。
お酒に呑まれるとはこのことか、と思った。
肩に担がれて家に運ばれたらしいのだが、記憶がない。
もちろん何を話したのか記憶もない。
その人とは、たまにサシで呑んでいて、
面白い話ができるなあ、と思っていたので、
その晩も呑んでいたのだった。
たしかに面白い会話ができていたのだが、
アルコールを入れておもしろい話ができるのは、
まだ酔いすぎていないときに限る。
そして、アルコールはアルコールを呼んでくるので、
話が面白ければ面白いほど、
記憶の飛ぶ領域に入る可能性も上がってしまう。
うちの場合、不思議なことに
アルコールの入った時の会話の記憶というのは、
翌日、翌々日くらいはかえって印象的に残っているのだが、
一週間くらい経つときれいさっぱり消えてしまっている。
それは、かなしいことである。
面白い話は、忘れたくない。
愉しい時間は、記憶の中に、
残っていてほしい。
たぶん、アルコールがなくても
人とは面白い話ができる。
人と人は、アルコールなんかに頼らなくたって、
いや頼らない方が、
ずっと有意義な時間を共有できるのだ、とも思う。
しらふで、感の込もった会話をした経験があるからこそ、そう思う。
極端かな。極端かもな。
アルコールで倒れて、そのたび反省して。
ブランコにのっているみたいだ。
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アルコールなんかなくたって
面白い話ができると、
そうはっきり思わせてくれた漫画もある。
「異国日記」だった。
noteのしんきろうさんの記事で紹介されていたのを読んで
興味を持って、
最新刊が出るたびに買って読んでいる。
この漫画で、高校生の姪と、
彼女と暮らすことになった叔母との会話を
読むたびに、
ああ、家族とこんな話ができたらなあ、と思うのだった。
友人とも、こんな関係になれたらな…
人と、こんな会話がしたい。
(あるいは、できたときもあったかもしれない。
そういう相手が、
現に自分にもいるのかもしれないと思い返す。)
そういう会話が、状況が、この世の中のどこかで
実際に取り交わされているだろうと思わせてくれる
現実感のある描写だった。
否定しようもなく現実的であり、
地に足をつけて描かれており、
なおかつ魅力的である人間関係というものを、
うちはこの漫画の中に見て、
そのおかげで
今の日常生活に、人との関わりに、
希望を見いだすことができた。
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高校生の時は、もちろんだけど、
お酒の味なんか知らなかった。
けれども、
人に自分の考えを一所懸命に伝える、
そして伝わる、ということは
その機会は
高校生の時の方がもしかしたら
あったかもしれないな。
なんて思ったり。
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今は、やっとこさ
生きている。
思いを伝える機会もなかなかないけれど...
(なぜそういう機会がないのだろうか。
機会はあるが素通りしているのだろうか?
あるいは機会とはつくるものなのか...
それか、むしろそういう機会から逃げることに力を使ってしまっているのか...)
ともかくも、
いつでも手元にいてくれる漫画が、
うちの心を支えてくれている。
ありがたい。
うちは日常を描いた漫画にずいぶん助けられている気がする。
異国日記しかり。
少女終末旅行しかり。
人と人との、
血の通った言葉のやりとりは、
魅力的だ。
胸の内に潤いを与えてくれる。
お酒はいらないので、
うちはそういうものがほしい。
今は。
今でも。
お酒を知らなかった高校生の時が懐かしいなあ...。
29years old,5.4,Mizuki