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映画「窓ぎわのトットちゃん」を観て

※できるだけネタバレしないように書いていますが、一部シーンに言及していることもありますので、これから観る方は終わったら読んでいただけるとありがたいです。

駆け込みで映画「窓ぎわのトットちゃん」を見てきた。女優・タレントの黒柳徹子氏の自伝的小説で、青い鳥文庫で私も小学生の頃読んでいた(昨年、続編が出版された)ため、映画見ながらそんなシーンあったなと思い返していた。

トットちゃんが転校した学校、「トモエ学園」を舞台にしているため、第二次世界大戦中の時代ながら直接的に描写されていないものの、戦争が落とす影、歪みがあらゆるところにあることを実感し、今でも澱のようにどこから話せばいいか、これを書きながらも心に重くのしかかっている。
お子さんのお客さんもいたし、今後戦争世代を知る人がだんだん鬼籍に入る中で貴重な作品である。それこそ「徹子の部屋」でタモリ氏が「新たなる戦前」と発言したことにも重なる。

〇いのちの生と死の理不尽なめぐり
トモエ学園のクラスメートとの別れ、ひよこのシーン、新たないのちとの再スタート。今この瞬間にも、世界中のあらゆるところで起こっているし、誰しもいつかは肉親や親しい人の出会いや惜別を経験する。今まで傍らにあったものがふっといなくなることの、ぽっかりと穴が空いた気持ち。そのあとに、だだっとなだれてくる悲嘆。誰のせいでもない、もちろん本人のせいでもないのにどこかのタイミングでこの世での命が消える理不尽さと、止めようと強く希求すれば止められる戦争に突き進む対比があまりにも大きく、その差の大きさに不条理を感じた。どのように最期を迎えたいか、というのは人間の意思として大切なことな分、勝手に人間が多くの無辜の命を奪うことになる戦争で奪われることへの怒り。

〇「我慢すればいいことあるという通俗道徳と個人の尊重」
劇中にも「華美な格好は敵!」といったようなスローガンを大勢の女性たちが大通りを闊歩しながら叫んでいるシーンだったり、銃後の守りをしっかりしなさい、という市井の声はまさに通俗道徳まみれ。「今我慢すればぜったい、未来にはいいことあるから!」という、勝算もなく人の命をむざむざ捨てるようなことを、日本社会特有の「謝ったら死ぬ病」でどんどん進んでいく。もう、当時の日本軍も社会も、麻薬を打たれたように正常な判断が働かず、自動機械での強迫観念でのみ突き動かされていた、本当に恐ろしい時代だったのだ。今でも、暮らしにお金を使わずポンコツのトマホークに使ったり、軍事費増大を掲げていたりと、戦前に回帰しているのではとしか思えず、他人ごとではない。その中で、トモエ学園の個人の個性を大切にしながら、みんなと一緒に共生していくことを貫く姿勢は、胸に詰まるものがあった。決して、通俗道徳まみれの「人が我慢してるんだからお前も同じことしろ!」ではなく、生徒の一人ひとりへ向けられる視線の温かさと、その中でいい意味で放任される中で育つ自発性や他者への責任、といったものが学園では培われていたのではないかと思っている。自立と他者との共生は両立するのだ。
また、個人的には校長先生からある先生への生徒に対する発言をめぐる、的を射た指摘も、ヘイトスピーチ・二次加害の視点でもあるのだとはっとした。外見や考え方について、何気ない一言でも本人にとっては傷つくかもしれないということ。先生で教える側だからといって何をしてもいいわけではない。昨今の「大御所」芸能人の性加害問題からも、権力持ったら何してもいい、批判されない・する資格がない、といったことにまっすぐ異論を突き付ける印象的なシーンだった。
また、トモエ学園の子どもたちに対してヤジを飛ばす悪童のシーンもあったが、ぎゃんぎゃん吠えるやつらは「弱い」という証左を改めて示している。かつ「欲しがりません勝つまでは」だし、「撃ちてし止まん」である。自分の根本が空洞で、横にいる他人がやっていることにはみ出さないことが至上命題。そのためには「無鉄砲に行動している」ように見える他人を押し付けることが正義だとみなされる。それに対して、スクラム組んで対峙する子どもたちが対照的である。五体満足で、~ができて当たり前、がいかに人をせせこましく、排除に追いやってしまうかが顕著に描かれている。戦争はそうした優生思想が強固になった結果。一丸になって「強く」あろうとする先には何があるの?戦争はその先は積み重なる屍しかない。強く、とは?

みんながそれぞれ幸せに人生を生きること、人を殺すよう命じられない社会がなぜ訪れないのか?個人では、そうあるべきと日本軍の首脳も、心の中では思っていたと信じたいが、集団になると狂気に走る人間の浅はかさを改めて知らせてくれた映画だった。既に上映期間終了間近だったからかもしれないが、関東圏でも上映数が少ないと思った。たしかにアクションのようなスカッとするような展開ではないかもしれないが、こんこんと観た後も日常を生きることができる作品があることはとても貴重だし、戦争の負の記憶が風化し再び賛美されつつある社会状況の中で生み出してくれたことに感謝している。

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