自分で、人と暮らす
1年ぶりに、滋賀に移住した中学受験の時の恩師に会いにいった。平塚にいらっしゃった時よりも、年々柔らかいお顔や物腰されてるな、と一緒に話している私までほっとする。
わたしも、4月からシェアハウスで自活するようになって、炊事洗濯掃除を自分でするようになってから、心身がコトコトと整っていく感覚がある。いいリズムといい塩梅で暮らしている同居人の影響もあるかもしれない。何が食べたい、洗濯物そろそろ干そうかな、とか身の回りに目がいく。
お互い一軒家なので、朝から寝室になってる2階が暑いとか、夕方のつかの間の風とか、一日の変化を感じ取ることができるよね、てことも話した。マンションだと、ずっと壁に囲まれて味気ないし、戸のすぐ外に出れるという気軽さもある。外のすぐそば。
あと、誰かしらの音が聞こえる安心感大きいよねと。大家さんの話し声や、うちだと階下で野菜を切っている包丁の音、コーヒー豆を煎る音など、生活音が、今生きていると実感できること。新しい生活様式、てそういうことじゃないのかな。無駄だと切り捨ててきたものを、改めて掌に載せて見直してみる。
今まで、人と繋がっている、ていろいろお互いオープンに話すことができる関係性だと思っていたけどそうじゃないな、ていうことに気づいた。たった一言の挨拶を交わしただけでも繋がってるし、物音を共有できていると考えると、今の暮らしがとてつもなく豊かだな、と思う。
日常に戻るのが、また楽しみになってきた。帰ったら銭湯にいこうかな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?