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蕪の皮むき

「住んではいるけど、暮らしてないよね」講座の受講生から、そんな言葉が放たれた。私にとってかなりのパンチラインだった。

今日は飛び石連休のため、年休で家族で私一人だけ休みだった。夕方ちょっと外出する用事があったので、早めに夜ごはんのおかず一品をつくった。といっても簡単な蕪の塩もみと葉っぱをごま油と醤油で炒めたもの。

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包丁で野菜の皮むきが苦手(てか怪我警戒レベル)なのだが、なぜか蕪の皮は、むく音も、むき心地(?)も安心感を作り手に与えてくれる。どしっと構えてくれるというか、つるっと滑る心配もなくて、心地よかった。あ、私暮らしてるわ、という実感があった。

リアルタイムで見逃したドラマ「昨日、何食べた?」を観ながら作っていたのだが、劇中の登場人物のセリフでも「料理、て前向きになれるのよね」に激しく同意したのだった。○○ができてないといけない、とか、そんなベクトルの話ではなく、今この時、怪我せずに何か、でも確実に食べれるものを作っているんだ、て肯定感がじわじわと湧いてきたのだ。(お子さんを抱えてそんな気持ちを感じる余裕なく、手料理を毎食作っている親御さんからはたまにしかやらないからだろう、というつっこみは来そうだが)

マクロな状況に左右されるビジネスは刻一刻と自分の役割は変化するし、そこには面白さもあるし不安もある。一方で、生命体として維持するための動きは、悲しんでようが何してようが何かしら関わるものだし、無心になって洗ったり炒めたり食器をしまったりしていると、落ち着いてくる。すぐ悩みを解決する即効性がある行為ではないけど、怪我しないように、とか注意を集中することで段々悩んでいたことが軽減されたり、冷静に見れたりするから不思議だ。問題の対処がすぐできたらいいけど気持ち的に追いつかなかったりすると更に終わるのが遅くなるし、時には気持ちの入れ替えであえて違うことをやってみてもいい。(私は気持ちの入れ替えにひたる時間が長すぎてなかなか本流に戻れないというジレンマが起きているが)ハイテンションなときもどんなときも同じことをやっていると、繰り返しが安らかにしてくれる。はじまって、ハイライトがあって、おわって、じゃあまたね。という流れの中で起こったことが感じ取れれば、いつもの生活が面白く変わるだろう。



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