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【第18回】転んでも立ち上がることに価値がある。菊地諒の音楽へ挑戦し続ける姿とは
2025年が始まりすぐにワンマンライブで幕を切った女性アーティスト、菊地諒。彼女の前を向いて突き進む強さと勢いの背景にはどんな物語があるのか。独占インタビューを公開。
──本日はよろしくお願いします。
菊地諒
よろしくお願いします。こちらこそお時間ありがとうございます。
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自己紹介:「優勝しなくていい、人と比べなくていい。転んでも立ち上がることに価値がある」
──それではさっそく、自己紹介を兼ねて菊地さんの音楽活動についてお聞かせいただけますか?
菊地
はい。「優勝しなくていい、人と比べなくていい。転んでも立ち上がることに価値がある」というメッセージを伝えたくて音楽をやっています、菊地諒です。
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音楽との出会い:「気づけばずっと音楽がそばにあった」
──菊地さんが人前で歌い始めたのは何年くらい前からでしょう?
菊地
19歳のときからなので、もう26年目になりますね。
── もともと子どものころから音楽はお好きだったんですか?
菊地
好きかどうかと聞かれると、自分ではあまり意識していなかったんですよね。気づいたら生活の一部に音楽があったという感じです。小さい頃にピアノを習っていて、小~中の頃は器楽部でトランペットをやっていました。
高校時代は一度、音楽から離れたんですけど、大学のときに軽音部に入ってバンドを組んだのが「人前で音楽をやる」最初のきっかけです
大学時代は「これ、カッコいいかも」と自分のために曲を作っている感じでした。
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影響を受けた音楽と世界観
──大学生の頃はどんな音楽を中心にやっていたんですか?
菊地
ポップスですね。特に当時好きだったのがBONNIE PINKさんで、いわゆる渋谷系とかスウェディッシュポップ系の影響を受けた曲を作っていました。
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──最近のライブ写真やYouTubeを見ても、衣装やビジュアルがとても華やかで世界観が確立されている印象です。最初からそういうトータルプロデュースを考えていたんでしょうか?
菊地
最初は全然考えていませんでした。5年くらい前から「音楽そのものだけでなく、衣装や演出も含めてエンターテインメントだ」と思うようになって、そこからビジュアル面にもこだわり始めました。
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「やめたい」とは思っても「やめよう」とは思わなかった
──長年活動していると、行き詰まりや「音楽をやめたい」と思うこともあったのでは?
菊地
実は「やめよう」と思ったことは一度もないんですよ。「やめたい!」とは思うことがあっても、本当にやめるという選択はしなかった。昨日の自分より1ミリでも前進できればいいと思ってきたからだと思います。
辛いのって、大抵「人と比べてしまう」時なんですよね。でも先輩ミュージシャンの山田庵巳さんに相談したら、「そういう時は、練習なんだよね」と言われて。コレを聞いたとき、がつんと頭がスッキリした記憶があります。練習って技術を高めるだけじゃなく、自分と向き合って自信を取り戻すプロセスでもあるんです。それが私にとっての癒しだったんだと思います。
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2025年、念願の「月世界」でワンマンライブ
──この間、神戸の「月世界」でワンマンライブを開催されていましたよね。ここでやろうと思った理由は?
菊地
4年ほど前に初めて「月世界」を知って、昭和のキャバレーの雰囲気がすごく好きだし、名前もステキだなと思ったんです。辞書で「月世界」を調べると、「そこには何かがあると期待され続けてきた場所」みたいなニュアンスがあって。「ここで絶対ライブをしたい!」と決めてから、ずっと目標にしていました。
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──実際に開催してみてどうでしたか?
菊地
来場してくれた方の笑顔が本当に印象的でした。私も幸せな気分でいっぱいで、終演後にはほぼ全員と直接お話しできたんです。笑いあり音楽あり、落語家の露の 新幸さんも出演していただき、総合エンターテインメントとして楽しんでもらえたと思います。
──衣装やグッズなどのこだわりも多かったですよね?
菊地
そうですね。グッズのTシャツはテーマカラーのピンクとホワイトを用意したんですけど、ほとんどの方がピンクを選んでくれたんですよ。デザインはフジロックのグッズなどを手掛けている青木孝弘さんにお願いできて、すごくいいものができました。
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2025年は「エマージェンザ・ジャパン」に挑戦
──今年は「エマージェンザ・ジャパン」にも出場されているとか。
菊地
はい。先日予選があって、まさかの1位通過でした。次は3月22日がセカンドステップ(2回戦)なんですけど、勝負事というよりも目の前のお客さんに「どうやって楽しんでもらうか」を考えながら臨もうと思います。
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──エマージェンザは大きな大会なので、挑戦するのも大変そうですが、モチベーションはどこから?
菊地
実は2030年に3000人規模のライブを開催するのが私の目標なんです。そのために「2025年はエマージェンザ・ジャパンと、corom(コロム)のオンラインライブを頑張る」と決めていて。ワンマンライブでの大きな挑戦は終わりましたが、そこから先もまだまだ走り続けたいんです。
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2030年3000人ライブを目指す理由
──2030年に3000人ライブ、すごい目標ですね。どうしてその数字と年になったんでしょう?
菊地
実は通天閣でMV撮影をさせてもらったとき、通天閣の社長さんがすごくよくしてくださって。「ここで絵馬に願い事を書いてみたら?」と言われて、「城ホールでライブがしたい」と書いちゃったんです。
あとから調べたら、大阪城ホールは1万6千人規模で……さすがに5年以内では厳しいかなと思って。でも勢いで宣言したからには何かしら現実的な数字も出さなきゃと考えて、2030年に3000人なら「まだミラクルが起こせるかも!」と思ったんです。
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──どんなステップを踏んでいくんでしょう? ご自身もまだ想像つかない部分は多そうですね。
菊地
そうですね、私にもこの先何が起こるか分からないです。でも、どんな変化があっても「転んでも立ち上がる」ことだけはずっと続けていきたい。それが私のモットーでもありますから。
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オンラインライブ「corom(コロム)」での新たな挑戦
──先ほど出てきた「corom(コロム)」のオンラインライブも大きな柱になるんでしょうか?
菊地
はい。corom(コロム)は、インディペンデントアーティストを応援してくれる会社で、配信ライブやアーティストのマネジメント、マーケティングのノウハウなどを提供してくれるんです。今は無料の配信体験を月2回くらいやっていて、そこから有料の本格的なライブを月1回といった形です。
ただ、オンラインは生のライブとはまったく別物と考えなきゃいけないなと思っていて、配信ならではの演出や機材の使い方を勉強中です。
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実体験から生まれた楽曲「負けない女」
──YouTubeを拝見すると、トップのビジュアルに「負けない女」という曲名が出ていますね。この曲にはどんな思いが込められているんでしょう?
菊地
実は昔、いわゆる“オーディション商法”に近いものに引っかかったことがあって……。最後のチャンスだと思いこんで、メジャーデビューを目指そうと必死になった時期ですね。「そんなの無理だよ」とまわりに言われて悔しかった気持ちをまっすぐぶつけて作ったのが「負けない女」なんです。
当時は周囲の否定的な声に向けた曲でしたが、今は「自分で自分を否定しないで、まずはやってみよう」という思いに変化して歌っています。
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過去の自分を乗り越えて
──今の菊地さんを見るとポジティブで明るい印象がありますが、意外ですね。
菊地
本当に昔はコミュニケーションが苦手で、「自己否定の鬼」みたいでした。青春時代は暗黒そのもので、太宰治の『人間失格』を一晩で読み切るような子だったんです(笑)。
でも音楽と出会い、練習を重ねる中で少しずつ自分を肯定できるようになった。そういう下地があるからこそ、今は同じように悩む人たちの気持ちもわかるし、一緒に前を向いていきたいという気持ちが強いんです。
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最後に:「5年後、どんな私になっているかはわからない。でもワクワクしている」
──では最後に、今後の展望やファンへのメッセージをお願いします。
菊地
私自身、「5年後にはどんなふうになっているか」正直まったくわかりません。でも2030年に3000人ライブをやると宣言した以上、走り続けるしかないですよね。私自身もその変化をワクワクしながら楽しみたいと思っていますし、応援してくださる皆さんにも「一緒にワクワクしてほしい」という気持ちでいっぱいです。
今の私にできることは、音楽を通じて恩返ししていくこと。いいエネルギーの循環を、みんなで作っていけたら最高ですね。
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インタビュー:本城あゆみ
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