自己分析
就活の渦にのまれて。
私は自分の気持ちや考えを言語化するのがとても苦手だ。
でも、言語化しなければ他者には伝えることができない。
私の人生に大きな影響を与えた先輩は、とても雄弁で、感情や思考を表現する能力にいつも驚かされていた。そんな先輩のnoteを見つけて、こっそりと自分も書いてみる。1年半前に同じことを思って書いていたみたいだが。
就職活動において、最初にすべきことは業界分析と自己分析であるようで。自分とあっている仕事は何か、どの会社に入れば将来安泰か。
小学生から割と真面目にいい子に生きてきて、中学、高校、大学と次のステップに進むにあたり、勉強することは正しいことであった。
いい高校に入学し、いい大学に入る。
これが自分の将来のためになると思って疑いもしなかった。
実際、偏差値の高い学校に行くと、人も教養があって尊敬できる人にも出会える。
……ここまで書いて、自分が吐露したい気持ちの前置きが長すぎることに不快感を覚え、全て消してしまおうかと思っているところだ。
あまりピンとこない会社の説明会を聞きながら、一つ気が付いたことは、こころが全然動かされていないということ。
私は大学で新しいスポーツと出会い、そこで心の底から感情が揺さぶられる経験をしたのだが、、
今でも、将来のために、いいところに就職しようとしている自分がいて、でもその将来っていつのことなのだろうか。
自分の人生、踏み間違えたくない。そう思って、絶対に間違いではない選択をし続けてきた。この考えで行くと、一流上場企業に就職するのが性に合ってるのかもしれない(入れるかは別として)。
やりたいことを見つけた時にやれるようにと、親は自分の教育費にはお金を惜しまなかった。おかげさまで、今頑張れば、どこにでも就職できる可能性は残されている。
ただ、私のやりたいこととは何なのだろうか。
学歴や資格を獲得するのはいいが、あくまで手段であるこれらを、目的にしてはいないだろうか。この先になにがあるのか、なんのために、頑張ることが正しくて、頑張って肩書をてにいれることで安心したかったのだろうなと思う。
自分で物事を決定してしまうと、自分に責任があるから、他人の物差しでよいとされているものを獲得して安心する。この無限ループ。
楽しむこと、楽することは悪いという感覚が抜けないのだ。
自分の価値観が乏しいことに気づかされた。
自分の価値観をもち、その自分の目標にむかって、「頑張りたい」と思えることが、正常なロジックである。
前置きをだらだらと書きすぎたせいで、本題を書くのに疲れてしまった。
自分なりの価値観を見つけて、そのものさしで物事を判断し、自分が人に提供できる価値を見つけていきたい。
自分の大事・好き・得意をもっと大切にしたい。
将来とは、今が重なってできているものである。だから、未来の自分のためではなく、今の自分のために生きたい。その方がいい人生になるのかも。
自分のやりたいことを明確に。オリジナルの価値感を持つ。
就職活動は、レールを自分で選択しなければならない。
自分自身と向き合うことができるいい機会だと思う。
これを機に、自分を知って理解し、認めて、人生いい方向にシフトしたい。
疲れちゃった、おやすみ。