あなたの持ち得るものその全てが才能
久しぶりにnoteを書きます。そして次週新しい曲をアップします!ミクチャン!
以前作った曲をお聞き頂きながらどうぞ↓
~以下本編~
以前書いたKing Gnuについてのnoteが↓
意外にも好評頂いて、何となく満足して、これまた何となく停滞していたんですが、また色々と頭を整理したくなったので書き始めます。新しい曲の告知もしたくて。
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さて、皆さんは最近褒められていますか?
僕は、大人になってから褒められる機会って減ったなぁ~と感じるようになりました。僕は常日頃から自分のやってることを認めてもらいたいなぁみたいなことは考えているんですが、「オレを褒めろよ!」的なことが言いたくてコレを書いてるわけじゃありません。ただ、振り返ると、もう少し自分と周りを認めてあげる人が増えても良いのになぁと最近良く思うようになりました。
I LOVE YOUは「アホやねん!」
これ分かります?全国そうなのかな?
特に関西に多い印象なんですが、仲のいい友達や恋人をやたらと揶揄することが相手を褒める証拠みたいなところがあります(ちょっと大げさかも)。
この「アホやねん!」には『こいつアホやねん(けどむっちゃええ奴でおもろくて、俺こいつの事ムチャクチャ好きやねん!)』とか、『アホやな~!(でもそういう所がムッチャ可愛くて死ぬほど好っきゃねん!)』いう行間が隠れています。アンビリーバボー
この間テレビで小学生の入学式の映像が流れてて、立派な袴を来た男の子が、お母さんに「外見はしっかりしてるけど中身がダメです」と苦笑しながら言われてる場面を見ました。もちろん愛があっての発言だというのは見て取れたんですが、「ダメって言わないでよ!」と反論していた子供にどれほど伝わっているのか少し気になります。
多分これが成立してるのは、漫才のツッコミ文化のおかげだと思うし、僕も小さい頃よく使ってたんですが、「これよく考えると伝わらないやつには伝わらないでしょ」と思ってから使うのをやめました。
(美味しんぼの漫才師の会を思い出しました。)
否定が肯定
『ここがダメだったよ=ここを直せばもっと良くなるよ』という論法が下敷きになってるんですが、日本人って否定されることが凄く好きな人種だなと思います。奥ゆかしさでもあるのかもしれませんが。
僕自身も、学生の時にバンドでライブに出演していた際に、終わった後にライブハウスの関係者の人と話す際「どこか、なにか直すところはありませんか?」と仕切りに質問していたことを思い出します。
それ自体悪いことではないんですが、クリティカルな修正点が無いと伸びしろが無い、なんだかスッキリしない、みたいな風に思い込みやすくなっちゃうのがあんまり良くない気がしますね。人に何かを教える経験を得てから分かったことなのですが、ダメ出しをする方も案外無理して絞り出してたり。
確認する分には構わないのだろうけど、大抵の場合において、あなた(or自分)はそのままで十分素敵なので、無暗にアドバイスを求める必要はないし、多少不格好でもそれがあなたの才能でありスタイルでもある時もあるので自分を貫いていくのが良さそうです。こんな時代だしね。
みんな天才
しばらく前に『消えた天才は今』的な番組がちょっとした不祥事を起こして取りやめになっていました。
なんでそんな番組を企画する必要があるのかというくらい、特にこの数年で出会った僕の友達たちは本物の天才が多くて、不幸にも(幸せなことに?)「ツッコミ」をする機会というのがグンと減りました。
少し種を明かすと、こういう天才たちは作品を出すまでの間にファンやお客さんが思っている以上の試行錯誤と幾度にも及ぶセルフチェックを行ってます。
これは別にアートに限らずどんな職業にも言えて、例えば、いかに仕事を効率化するか考えたり、朝の満員電車に乗りたくないからわざわざ早く起きて一本前の電車に乗ったりとか。また家から出ない人にしたって、それで生きて行けているのであればその人には家を出なくても生きていける才能があるのだと思うし、だからわざわざ卑下や否定をせず、みんな横断歩道の白いところだけ歩いていけばいいと思います。
どんな状況にあっても、今をより良くしたいと思って動ける人は天才で、僕の周りには羨みながらも幸せになる程、僕とは比べものにならないくらいのやんなるくらいな天才が多いのでした。というわけで自分を落としておいたので、皆さんからの褒めちぎりお待ちしてます。ナンチャッテ
というわけで来週4/8の水曜日に、自身初めて初音ミクを使ってのボカロ曲になる新曲を出します。どうぞよろしく!
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