『温泉とプロポーズ』第4話(最終話)
相変わらず陽太と会えない日が続き、11月になった。不安は募る一方だ。LINEをすれば返って来るし、電話で話している感じも普通に思えるけど、どこかそっけないような気もする。週末に会おうと誘っても、用事があるとか、調べたいことがある、という返事ばかり。
これまでなら、どんなに期間が空いても週に一度は会っていたのに、青森から戻って以来、もう3週間会っていない。別に定期的に会おうと決めているわけではないけど、これまでにないことなので不安にもなる。
そうして落ち着かない日々を送っていたある日、仕事を終えて帰ろうとしているところに、幸恵さんからLINEが入った。スマホを見ると「ちょっと電話できる時ある?」という文字。何だろうと思い、会社から出てすぐのところにある広場へ移動し、ベンチに座って電話をかけた。
「もしもし綾ちゃん、急にごめんね。仕事中だった?」
「いえ、今終わったところなので大丈夫です。どうしました?」
「あのね、私は綾ちゃんのことを大切に思っているから、陽太くんには黙って綾ちゃんに連絡してるんだけど・・」
不意に出てくる陽太の名前に不意をつかれる。陽太が登場する話題だとは全く予想していなかった。しかもこのタイミングで。
「さっき、会社でたまたま陽太くんに会ってね。陽太くんから、今度少し時間もらって話せませんか、って言われたの。それはもちろんいいし、それなら綾ちゃんと3人でご飯でも行こうかって言ったら、ちょっと相談したいから二人で会いたいって言われて」
幸恵さんが、早口で状況報告をしてくれているが、不安が胸に広がってあまりうまく言葉が頭に入ってこない。陽太から幸恵さんに相談したいと言うことなんて、今まで一度も無かったと思う。
「それで、陽太くんが綾ちゃん抜きで私に相談したいってことは、二人の関係が危うくなったくらいしか思いつかなくて。綾ちゃんたち、何かあったの?」
幸恵さんの質問があまりにもストレートすぎて、心にダメージを受ける。でもへこんでいる場合ではないと思い、幸恵さんに最近の出来事を話した。私の実家へ二人で行って、そこで陽太が温泉を継ぎたいと父に話したこと。父からは真っ向から反対されて、東京に戻ってもしばらく落ち込んでいること。ここ最近は私もしばらく会えずに不安を感じていること。
「なるほどね。二人の間の関係というより、温泉問題なわけか」
「でも、温泉を継げないと分かってから、何か私にも冷たいような気がしていて。別れ話だったらどうしようかと・・」
「うーん、陽太くんのトーンはそんな感じでもなさそうだったけどなあ。でも、とにかく綾ちゃんは別れたいわけではないんだよね」
「そうです!最近結婚の話も出来なくなっちゃって。このまま終わりだったらもう・・」
もしかしたらこのまま別れ話に繋がるのかと想像して、つい涙声になってしまう。幸恵さんが電話の向こうで、慌てて声を張り上げる。
「大丈夫だって!綾ちゃんのスタンスを確認したかっただけだから、多分悪いようにはならないよ。とにかく、また連絡するからね!一応、私から綾ちゃんに電話したことは陽太くんには言わないでおいてね!」
そう言って、電話は切られた。幸恵さんは励ましのつもりで電話をくれたんだろうけど、どちらかというと不安の方が残る。陽太に連絡しようとも思ったけど、幸恵さんにも黙っておいてと言われたし、もしよくない話だったら自分から確認するのも怖くて、結局出来なかった。
どうしてこんなことになったんだろう。ベンチに背中を預けて、ため息をつく。そのまま帰る気になれず、退社した人たちが続々と地下鉄の駅へ向かっていくのを、しばらくその場から眺めていた。
*
それから、さらに二週間後。もうすぐ11月も終わってしまうなという頃、仕事が終わった火曜日の夜に、突然陽太から電話があった。
「もしもし、綾さん。最近会えてなくてごめんね。元気?」
「うん、大丈夫だよ」
最近は電話もできていなかったので、陽太の声を久しぶりに聞いた。緊張して声が震えているけど、何とか隠していつもの感じで話す。陽太の方は、あまりいつもと変わらない感じだ。
お互いにぽつぽつと言葉を交わした後、陽太から誘いがあり、食事の約束が決まった。12月最初の土曜日に、恵比寿にある創作料理のレストランへ行くことになった。個室を予約してあるらしい。そのレストランは、今年の初めに、テレビでたまたま見かけた隠れ家レストラン特集で紹介されていた場所だった。高級だけどいつか行ってみたいね、とその時に陽太と話していた。
その後も20分くらい話をして、電話は終わった。とりあえず普通の感じで会話ができてよかったけど、何の話をするつもりなのかは、結局分からなかった。お店の雰囲気は素敵でデートにもぴったりのような気がするけど、最後に行きたいお店で思い出を作るためなのかも、と嫌な方向にも思考が向かってしまう。
しばらく落ち着かなくて、何となく不安を紛らわすためにテレビをつけたり消したり、スマホを触ったりして過ごす。ネットの記事を斜め読みしていると、『12月はカップルの破局が一番多い季節』という記事を見つけてしまい、スマホをベッドに放り投げた。
陽太に会うまで、あと1週間か・・。その日が終わったら、私たちはどうなるんだろう。考えてもしょうがないけど、やっぱりぐるぐると考えてしまう。
*
そして、ついに陽太に会う日になった。駅のホームで待ち合わせをして、一緒にレストランへと向かう約束をしていた。
「綾さん、久しぶりになっちゃってごめんね。今日はありがとう。」
陽太と合流して、二人で店の方へ歩き出す。今まで何度も陽太と一緒に歩いているけど、思ったより背が高いんだな、と今更ながら思った。顔を見ると、少し緊張しているようにも見える。お互い会話はしているけど口数は少なく、少し気まずいような雰囲気のまま、お店に到着した。
店員に案内されて個室に入る。コンクリート打ちっぱなしの壁に囲まれて、大理石のテーブルとグレーの椅子が部屋の真ん中で輝いている。見るからに高級だ。
二人向かい合わせで、席に着く。陽太の顔つきは何かを決意しているようにも、少し緊張しているようにも見える。どんな話をしようとしているのか、まだ検討がつかない。
店員が食前酒のロゼと、3種の前菜が載った皿をテーブルに置いていく。陽太はグラスを持ち上げて、まずは乾杯・・といきたそうな様子だったが、私の方がもう限界だった。とにかく、今日このタイミングでここに来た理由を早く知りたかった。
「ねえ、今日はどうしたの?なんでこんなところに来たの?」
「え?」
陽太がグラスを右手に持ったまま固まる。そして個室の入口の方を少し伺った。たしかに、お店の中で「こんなところ」呼ばわりはまずかったか。少し声を落として続けた。
「こんないいレストランに来るなんて、いつもと違うよね。なにか考えてるの?」
「い、嫌だった?」
「嫌とかじゃなくて、何か思ってるなら最初に話しちゃってほしい。このままだと気になって、食欲もわかない」
不安な気持ちが高まって、つい口調が強くなる。何とか落ち着こう、と水を一口飲む。そして、陽太がゆっくりと話し出す。
「そうだよね・・。まずは改めて、最近全然会えていなくてごめん。ある程度自分の中でしっかり結論が出てから会おうと思って、遅くなってしまった」
結論を出す。陽太の中ではもう結論が出てるんだ。そういう言い方ってことは、やっぱり別れ話をしようとしてる?心の中は嵐が吹き荒れているが、伝わらないように顔に気合を入れる。でも、もう表情に出てるかもしれない。油断したら、泣いてしまうかも。陽太が続ける。
「綾さんのお父さんに、温泉を継ぐのは考え直した方がいいって言われて、確かに勢いだけで言ってしまったなと思って。しばらくはショックだった。考え無しに発言したことにも、反省してた。」
陽太はそう言って、少し下を向いた。私も陽太の顔を見ていられず、同じようにテーブルの下を見つめていた。テーブルの向こうから、陽太の声がまた聞こえ始める。
「それで、あれから色々考えたり、人に相談している内に、結構日にちが過ぎてしまいました。でも、自分の中では考えがまとまったから、それを綾さんに報告したいと思う。話したいことは、大きく分けて三つあるんだけど」
「三つ?」
黙って話を聞いてようと思ったけど、つい反応してしまった。報告したいということは、やっぱりいい話だろうか。いや、悪い話の可能性もまだあるか。というか三つって?と混乱している内に、陽太が続けた。
「一つ目に、僕は来年の3月で今の会社を辞めようと思う」
「え?」
最初の報告から予想外のもので、いきなり面食らう。
「辞めるって・・」
「それで、転職して、東京の銭湯で働こうと思う」
「え?」
またもや予想外の回答で、「え?」としか言葉が出てこない。傍から見たら間抜けに見えるかもしれないけど、本当に想定していないことを言われたときは何も言えないんだな、と思った。陽太が続ける。
「実は、幸恵さんに先月会って、相談に乗ってもらったんだ。前に、綾さんが幸恵さんから、銭湯を運営する会社の話を教えてくれたでしょ。実際に話を聞きたいと思って、その会社に入って銭湯で働いている、幸恵さんの友達にも会ってきた」
「そう・・なんだ・・」
陽太がそんなことをしているなんて、全く気付かなかった。
「それで、実際に銭湯で働いていることや、会社のことについて色々聞いてきたんだ。ほとんどの人は全然違う業界から転職してきてるけど、銭湯のことを学びながら仕事していけるみたいだった。それで、その会社で今また、社員を募集しているんだ。もちろんこれから申し込むわけだから、面接に合格しないと、実際に働けるかは分からないけど。その会社が一番いいけど、でも、仮に駄目でも、どこか他の銭湯とか温泉施設で働こうと思ってる。だから、今の会社は辞める」
陽太は、私の方をまっすぐ見つめながら、しっかり宣言した。青森から帰ってきてから、ずっと落ち込んでいると思っていたのに、前を向いて次の方向に向かってるんだ。最初は別れ話を切り出されるかと思って涙が出そうだったけど、さっきまでとは別の感情の涙がまた目に溜まってきそうだった。平静を装って、陽太に先を促す。
「うん、わかったよ。それが一つ目?」
「うん。ここまでが一つ目の報告かな。二つ目も、それに関連してるんだけど。」
話を聞いている内に、だんだん身体の力が抜けてきた。陽太も最初よりは少しリラックスしたような顔で、また話を続ける。
「二つ目は、郷の湯のことだけど。さっき言った、東京の銭湯の会社で働くのは一年間にしようと思ってる。それは、面接のときにも正直に言おうと思ってる。たった一年では何も分からないかもしれないけど、とにかく一年向き合って、銭湯で働くことの修行をしたい。その後に、二人で青森に行って、郷の湯で働き始めたいと思ってる」
「うん、うん・・。分かった。」
「え?」
私が即座にOKを出したことで、今度は陽太が驚いて聞き返してきた。ちょっと面白くて、つい笑ってしまう。
「反対しないの?」
「だって、東京の銭湯で仕事したいって聞いた時から、郷の湯で働くためだろうな、と想像できたからね。そこまで本気なんだから、反対しない。でもお父さんが何ていうかは分からないよ」
「うん、そこはもちろん、これから話し合うよ。少し時間がかかるかもしれないけど、説得する」
陽太はそう言って、一口水を飲んだ。さっきから話す度に水を飲んでいるので、コップはもう空になるところだ。個室の入口の方をちらっと見ながら、陽太がおずおずと話しかけてくる。
「それで、最後の三つ目だけど・・少し食べてからにしない?結構、時間経っちゃったし」
確かに、席に着いてから一口も食べずにずっと話していた。個室の外側で、店員が気配を伺っている様子がする。次の料理を運びたいのに、私たちがずっと真剣に話をしているので、入って来れないのだろう。
「いや。あと一つでしょ?全部聞いてから、何も気にせず食べたい。最後も言っちゃってよ」
「そう?そうかなあ。うん、まあそうかもね。じゃあ・・」
陽太は少し迷っていたが、観念したように息をつき、両手を握って膝の上に乗せた。私もつられて、背筋を伸ばす。
「じゃあ、三つ目の報告をします」
「はい」
「さっき話した通り、僕はこれから銭湯の仕事をして、その後に郷の湯で働き始めるために頑張る。予定としては、これから一年以上先だから、再来年の春くらいになっちゃうけど。それで、無事に二人で青森に帰った時には、僕と結婚してください」
陽太の言葉が、胸にすっと入って来る。ひとつひとつ、話すことを考えてくれたんだなというのが伝わってくる。その言葉から、私のことや、私の家族のこと、郷の湯のことを考えてくれたことが伝わってきて、感謝がこみ上げる。
気づけば、泣くまいと思っていたのに涙がこぼれていた。嬉しいのか、安心したのか、よくわからないけど。陽太が不安そうに見ているので、もしかしたら、私が悲しんでいると思っているのかもしれない。慌てて涙を拭う。
「うん、ありがとう。とっても嬉しい。陽太の言ってくれた言葉のひとつひとつが、すごく嬉しいよ」
私の言葉を聞いて、陽太が安心した顔になる。
「でも、三つ目の報告はOKできないかな」
「え・・」
笑顔を見せていた陽太の顔が一転、固まる。少しの沈黙。
「え、それってつまり・・結婚はダメってこと?」
「だって、あと一年半も先の話なんて、分からないでしょ」
「うん、だけど、そうなるように・・」
「だから」
陽太が話そうとするのを遮って、きっぱりと伝えた。
「だから、一年半後とか言ってないで、結婚は今すぐにしてください。そうじゃないと、さっき話してくれた他のプランも許しません」
「それは・・」
私の言葉を聞いて、陽太は返事に困っている。この返答は予想外だったらしい。「え・・でも・・」などと言いながら陽太が困惑しているので、続けて伝えた。
「だって、陽太のプランは全部、郷の湯を継ぐために考えたものでしょ。会社を辞めるのも、銭湯で働くのも、青森に来てくれるからでしょ。だったら、これ以上結婚を延ばす方がおかしいよ、絶対」
「でも、僕が本当に温泉でやっていけるかまだ分からないし、継ぐことも決まってないし。色々分からないことばかりで、迷惑なんじゃないかと・・」
陽太は少し小さな声になりながら、主張してくる。陽太が私のことも考えて、提案してくれているのはよく分かる。でも、私だってここは譲れない。
「これから始めるんだから、分からないことばかりに決まってるでしょ。私だって仕事は見つけるだろうし、陽太一人で考えなくていいよ。もし温泉のことが駄目でも、違う道を選んでも、一緒にいてほしいの」
陽太は私の話を聞いて、少し上唇を噛む。視線はずっと私の方を見つめている。
「これ以上、悩んでも私は譲らないよ。どうする?」
もはや、陽太のプロポーズなのか私のプロポーズなのか分からない言い方になってしまった。陽太もそう感じたのか、ふふっと笑って、その後に優しく答えた。
「うん・・うん。ありがとう。結婚してください。よろしくお願いします」「よろしい。じゃあ、よろしくね。色々話したいことはあるけど、まずは食べようか。店員さんも待ってるし、お腹空いた!」
そう言って、二人でようやく乾杯をした。話し合いが終わった気配を察知して、店員もコースの料理を次々に持ってくる。
二人でやって来る料理を食べながら、その後も色々な話をした。会えていなかった間のこと。幸恵さんから不安を煽るような電話が来て不安になったこと。そもそもこんな高級なレストランに来るなら、もっとリラックスして来たかったということ。陽太がこれから行こうとしてる銭湯の会社のことや、いつ婚姻届を出すか、などなど。
久しぶりに会う陽太とはいつまでも話したいことが湧いてきて、ほっとする時間だった。やっぱり、この人と結婚を決めてよかった。
*
そして、陽太からのプロポーズを受けてから、二年後の冬。
12月になって雪が降ることもけど、幸いまだ積もるほどではなく、今のところ雪かきはせずに済んでいる。いつも年末年始を狙ったようにどっさり雪が降るので、今年もそうなるかもしれないけど。青森に戻って来てから最初の冬、雪かきの大変さを思うと今から憂鬱だ。
夫婦になった私と陽太は、この春から青森の実家で、父と母と一緒に暮らしている。私の実家に陽太一人がやって来た形だが、すんなり馴染んで、仲良くやっていると思う。
でも今日はちょっとしたイベントがあり、朝から何だか落ち着かずにバタバタしている。
「ちょっとお父さん!あと少しで新聞の人来るんだから、も少しいい服着ておいてよ」
「今日は、おめと陽太の二人への取材だべ。わんどの服はどんでもいいべや」
「いや、お父さんにも話聞くって言ってるでしょ!最後に写真も撮るかもしれないし!」
父は、ぶつぶつ言いながら自分の部屋へ着替えを取りに行った。対照的に母は、どの服にすればいいかしらとさっきから私に意見を求めては立ち去っていく。私も自分の準備をしたいのに。
あと一週間で今年も終わりを迎えるというこの日。地元の新聞社が郷の湯へ取材に来ることになっていた。元日号の特集記事として、地元の温泉を継ごうと移住してきた陽太と私を取り上げてくれるらしい。東京に住んでいた時は新聞の取材を受けるなんて別の世界の話かと思っていたのに、何だか恐れ多い。
2年前に陽太からのプロポーズを受けた後、私たちは改めて青森の実家を訪れて、結婚の報告と今後のプランを父と母に説明した。
二人とも結婚の報告は喜んでくれて、すぐにOKをもらった。一方で、やはり温泉を継ぐことについてはすぐには賛成できない、という父からの反応。それでも陽太は、転職して東京の銭湯で仕事をすること、その間に改めて郷の湯を継ぐことについて真剣に考えることを、緊張しながらも真摯に父に伝えた。父はそれを聞いて、それならやってみなさい、と同意を得ることが出来た。
その後、陽太は無事に銭湯の会社に入社。将来的に郷の湯を継ぐことを目標としていたので一年間の契約だったけど、社長や同僚たちからも応援してもらえて、いい環境だったみたいだ。陽太は会社が運営している三鷹の銭湯に勤務し、一年の銭湯修行を終えて退職。私も自分の会社をほぼ同じタイミングで退職し、今年の春から二人で青森へとやって来た。
「お邪魔します」
自分の部屋で髪を整えていると、玄関から声が聞こえてきた。もう着いたのかなと思って下に降りていくと、そこには同級生の遼平が立っていた。
「おつかれさま。一応市役所の担当者として、応援に来たよ。後ろで見てるけどね」
「おつかれさま、そうなの?一緒に話したらいいのに」
「話をするのは期待の夫婦二人に任せるわ。新年にふさわしい立派な話を期待してるぞ」
「やめてよ、緊張させないで」
そう言って、遼平は「郷の湯の方で待ってる」と言い残して出て行った。郷の湯では、一足先に準備を終わらせた陽太が番台に立っている。二人は気が合うらしく、最近は私がいなくても二人で釣りに出かけたりしているらしい。私は平日いつも遼平と職場で顔を合わせるので、休日にまで会いたいとは思わないけど。
自分でも意外な選択だと思っているが、私の職場は市役所になっていた。移住して地域活動に取り組む任期付きの職員として、春から働いている。
郷の湯でいきなり陽太と私の二人分の給料を出すのは難しいという話になり、私は私で仕事を見つける必要があった。これまでの経験を活かしてIT関係の会社を探したけど、ピンと来る求人が無かった。その時ふと、遼平から八甲田のロープウェーで聞いた話を思い出す。市役所のHPを見るとまだ募集が続いていたので、面接を受けたところ採用してもらったのだ。
そして今年の4月から、遼平が私の担当者ということになり、同じ部署の隣の席同士で仕事をしている。最初は同級生と一緒に仕事するなんてやりづらいと思ったけど、テキパキ動いてくれるし、意見も愚痴も言いやすいし、結構うまくやれていると思う。
その時、車体に「青森新聞」と書かれた車が玄関の外に停まった。記者が到着したらしい。さっきからいつまでも準備をしている母と、いつの間にかテレビを見ていた父に声をかけて、外へ出迎えに向かう。
「すみません、遅くなりました。青森新聞の外崎です。」
車から降りてきたのは、ベテラン感の漂う、優しそうな男の記者さんだった。名刺を見ると、支局長と書かれている。父と母とも挨拶をして、番台に立つ陽太と遼平が待っている郷の湯へ案内し、ロビーに皆で座って取材が始まった。
番台は母が交代してくれたので、主に陽太と私に対する取材になるはずだった。しかし、温泉の話になると父がずっと話しているし、母も番台から陽太の頑張りについて声を張り上げて自慢してくる。皆が好き勝手に話すので記者の外崎さんも苦笑しながら、それでも一通りの取材は終わった。
最後に、郷の湯の外に私と陽太の二人で立っている写真を撮ることになった。遼平も、市役所の記録用にと記者の後ろでカメラを構える。
郷の湯に陽太と二人で帰って来て、新聞の取材を受けることになるなんて、全然想像もしていなかった。隣に立つ陽太と一瞬目を合わせて、二人でほほ笑む。これからどうなるか、先のことは分からないけど、二人で郷の湯に帰って来れてよかったな、と心から思う。
撮影を終えてカメラをしまいながら、記者の外崎さんが取材のお礼を言う。「何か、最後に言い残したことはありますか?」と聞いてくるので、陽太の腕をつかんで、笑顔でこう伝えた。
「是非、温泉に入っていってください。夫の湯加減は、最高ですから」
(終わり)
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