【余命は一年】


(大学時代の美術旅行の続きです。)

たくさんの作品を見るということは、ある画家の作品を若い頃から死ぬ直前まで、人生を通して触れることになります。といっても時系列に並んでいる訳ではありません。作品の下にあるプレートにはたいてい誰が何年から何年まで生きて、それが何年作のものかが記載してあります。時の流れの中で、もちろん表現方法の変化や技量の変化等の特徴も見えてきますが、不思議なことに気がつきました。絵のタッチや全体の作りが荒れると言うかおおきく揺らぐ時期があるのです。初めに気がついたのは印象派の画家達についてでしたが、それはおおよそどの画家にも言えることであることがわかりました。ただし、ある程度世界のはっきりしている画家の場合はわかりやすいようでした。その変化が訪れるのは、亡くなる一年前がその時期なのです。それが複数の作品に及ぶのかそれとも1点なのかは定かではありませんが、その画家の名前と作品が微妙に今までの流れからはずれるモノが描かれるのです。絵を見てから画家名を見ると「えっ」と二度見してしまうのです。これは何を意味するのでしょうか。整体を生業としていて感じるのは、生き物としての時間は一秒一秒点で繋がった時間ではなく、幅を持った時間に生きているということです。ある先生は、死ぬ4日前にカラダに「印」が現れると言います。ということは最低でも前後4日の幅を持った時間の中に生きていることになります。ですがこの美術館巡りの中で見えたこの死の兆候は1年前のモノです。ということは一年後に死ぬことはカラダ/存在としては判っているということになります。このある時期を過ぎると絵はまたもとの落ち着きを取り戻します。私たちのカラダを含めた命は、私たちが思っている以上に長いスパンで、可能性としては産まれた時から死ぬ瞬間までが一つのまとまった時間として、存在しているのかもしれません。(まだまだ続きます。)

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