タウン情報誌とは「夢」そのものです!
部室で「まるごとソーセージ」と「でかまる もやし味噌ラーメン」を食べながら『せんだいタウン情報』(現 せんだいタウン情報 S-style)を読む高校生。
心の中で思っていたことがあります。
「あー。こんな感じの雑誌の写真を撮るカメラマンになりたいなー」
1993年。仙台育英高校の写真部での事です。
新聞とはなんか違う「ちょっとだけ自分に近い情報だなー」と思っていました。
美味しそうな料理、行きたくなる場所、観たくなる映画。
そこには「ワクワク」がギッシリ。
純粋に見ていて楽しかったです。
そして「その中心には」いつも写真が有りました。
将来なんて考えてない頃です。
「1999年7月に地球が滅ぶ」というノストラダムスの大予言をふんわりと信じていたので「あと6年くらいで地球滅亡だなー」と思ってました。
なんとなく。
なので「将来なんて考えても無駄かもなー」と思っていました。
そんな私ですが「せんだいタウン情報」を見ると凄くワクワクしました!
そのうち「タウン情報誌の写真を撮れたら、きっと楽しいだろうなー」と想像するようになりました。
17歳の『夢』でした・・・。
あれから約30年。
2022年。
広島のタウン情報誌『TJ Hiroshima』を撮影させて頂いてます。
撮らせて頂けるのが本当に幸せです。
料理や人物、建物や風景、銭湯や温泉。
日々色々な被写体と向き合っています。
撮影の時、いつも心がけている事。
それは「17歳の自分は『その写真で』感動するか?」です。
タウン情報誌の撮影は時間的に非常にタイトです。
はっきり言うと大変です。
ですが、その時間で出来る限り最大限の努力をしなければ信頼して任せて頂いてる方々に失礼です。
そして写真も「いい感じ」には、なりません。
何よりも「17歳の自分」は「最大限の努力をしなければ」納得しないはずです。
だって「夢」なのですから。
適当なことは出来ません!
夢を「より素晴らしい夢」にする事も今の自分に与えられた責任なんだと思います。
なんか「夢」って青くさくてダサい感じですが「夢」が希望になり、人を支え続ける事もあると思います。
だから「夢」も悪いもんじゃないと思います。
最後に17歳の自分に伝言です。
『いまタウン情報誌を撮ってるよー』
(写真のTJ Hiroshimaは2冊ともに表紙を撮影させて頂きました)