三霊泉五名泉投票・番外編

昭和5年7月6日の新聞より

毎日票の行方を記事にしていた小樽新聞が、90年前の今日、投票締切直前の様子を別の記事として取り上げています。その様子をお伝えします。

締切まぎわに持込む70万票

三霊泉五名泉投票の締切日 昆布温泉が一時に20万票

謎を包む玉手箱

雨か!嵐か!全道の人気を集めた三霊泉五名泉投票の総勘定日は遂に来た!投票締切の昨夜、本社の内外には一種重苦しい非そうな気さへ漂ふ、5本の高張り提灯は物々しくも宵闇に掲げ出され「締切は正十二時まで」の注意書きが墨黒々と貼り出された40日の長きにわたる火の如き戦いをいよいよこの最後の5分間において輸贏を決せんとするのである、けんこん一擲、吉か!凶か! 6時20分よれよれのセル軍衣に身をつつんだ白髪の老爺「これを一つ」と懐中から状袋に入れた投票の一包を差出すーこれが当夜のはしりだ「お名前は?」の問に「なに、わしかね、手宮の五郎兵衛ちゅうもんだ」とさっさと行く、続いて山屋へと店員さんらしいのが包を置いて自転車で走り去る。不安と焦燥の幾分かがすぎて8時をつげる頃「4千票洞爺」と朱書した大物が入る「形勢はどうです」その後援者らしいのが心配顔で聞く、だがどこか自信がありそう。次いでカルルス、利尻、鹿部、豊富3千5千の大物どころが続いて入る、この頃から受付社員も漸く目まぐるしくなってきた。一文字に八字髭の謹厳な紳士が昆布へと清き一票を投じて去れば可憐な小学生が45名これに入れ代ってやってくるーその真剣さには涙ぐまずにいられない、腕車をひいた車屋さんがわざわざかじ棒を下して丼からクシャクシャの一つかみを置いて無言で走り去る、10時40分けたたましくも警てきを静かな闇に響かせて疾走し来たった一台の自動車、景気よくピッタリと社前に横着けになる 出された名刺を見れば昆布温泉後援会長富田為吉、軍司万策(※ニセコ大湯沼で温泉宿を経営していた人物。馬場温泉と呼ばれていた当地を、現在まで続く「湯本温泉」と改称したのも軍司氏)とある「20万です」と大トランク、信玄袋、大風呂敷を威勢よく担ぎ入れたのはさすがの係員も膽ををつぶす「もう一度来ます」時ならぬ投票の山を築いてこの豪語、社前は人の黒山である この頃から11時40分頃まではまさに投票のクライマックスで法被姿の兄い連が一パイ機嫌で押寄せると見れば光風館へと花はずかしい年頃の2人連れの娘さんがにこやかな愛嬌をふりまいて消える、何と賑やかなこと、賑やかなこと、11時過ぎ根崎の後援者が綺麗どころを引具して宿の番頭へ10万入りの大荷物を背負わせてえっさえっさやってくる一方孫を連れたお婆アさんが野付牛からたのまれたが受取書をくれと係員を手古ずらす等々悲喜劇を見 締切5分前堺町の相沢鶴次郎君184票を息せき切って持参したが無記名は無効と聞いて「何とか助けて下さい」と哀願切々漸くペンを得て大スピードの書込23社員の応援を得て辛うじて間に合ったが思えば頗る際どい藝薹であった、かくして12時の時計と共に鉄扉はかたく閉ざされ興味津々たる本社主催の温泉投票は遂に締切られた、この最後の5分間に受付た概算は実に70万票に達したがなお地方よりの投票も殺到すべくその数は莫大に上るであらう

画像1

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何と臨場感溢れる描写でしょう!
投票締切の最後の夜、小樽新聞社の前でさまざまな人間模様が展開されていた情景がよく伝わります。そして、この締切に間に合うようにと道南からも道北からも投票用紙を抱えてたくさんの人が来ていたこともわかります。その各温泉地の熱意に心打たれます。

昆布温泉は当時まだ珍しかったであろう自動車で登場。写真にもお洒落なハットをかぶった方が写っていて、高級感あふれています。票の数も半端ないですね。そして、当時のニセコ湯本温泉(ニセコ大湯沼)の経営者が直々に来ていたとは驚きでした。

90年前に日付を合わせて書くのが大変な時期もありましたが、少し落ち着いてみると、90年後にこうやってウェブの海の中に当時の様子を再び再現できてよかったと思います。とはいえ、今日の票の行方はこの後の記事で。
この企画はもう少し続きます!

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温泉なんでも屋さん 髙野 紀康
温泉経営者だった経験を生かし、北海道の温泉をさらに盛り上げる活動をしていきたいと思っています。サポートしていただけたら嬉しいです!