三霊泉五名泉投票・終盤戦S5.6.28
昭和5年6月28日の新聞より
三霊泉五名泉投票
三万の巨弾飛ぶ
飛行機で意気を示す光風館
締切もあと旬日に迫って一段の深刻さを加えた温泉投票は各地の作戦もいよいよ赤裸々となり1万以上の巨弾を惜しげもなく飛ばしていやが上にもその熱をあふり立てている 即ち洞爺、カルルス、豊富、根崎の各温泉は廿七日に至り1万数千の得票を示したが幕内からじりじりと頭を擡げた士別の瀧不動霊泉は同日3万余を得て九位に進出して之又恐るべき強敵として一大ショックを與へている、また第六位にあって現状維持の軽川光風館は大いに同温泉の必勝的意気を示すべくきょう午後同地から北日本飛行学校の飛行機を飛翔せしめて本社上空を旋回するはずでその豪勢振り又恐るべきものがある 二十七日正午までの分左の如し
1位(→0 +9309) 86100 洞爺 洞爺湖温泉
2位(↑1 +11928) 79299 幌別 カルルス温泉
3位(↓1 +2299) 70458 登別 子宝湯
4位(→0 +1290) 66829 南尻別 昆布温泉
5位(↑1 +10990)61486 豊富 豊富温泉
6位(↓1 +8) 51468 軽川 光風館
7位(→0 +606) 49432 音更 雨宮温泉
8位(↑1 +12647)44517 銭亀沢 根崎温泉
9位(↑10 +32349)41012 士別 瀧不動霊泉
10位(↓2 +26) 34313 鹿部 鹿部温泉
11位(↓1 +0) 30550 鴛泊 利尻冷鉱泉
12位(↓1 +12) 24008 留寿都 及川温泉
13位(↑2 +1690) 19616 小樽 山屋温泉
14位(↓2 +0) 19139 歌棄 歌棄温泉
15位(↓1 +522) 18979 岩内 堀株温泉
16位(↓3 +0) 18560 留辺蘂 温根湯
17位(↓1 +0) 15881 舌辛 雄阿寒温泉
18位(↓1 +732) 10253 幾春別 神仙閣
19位(↓1 +0) 9643 上富良野吹上温泉
20位(→0 +0) 6639 弟子屈 弟子屈温泉
21位(→0 +354) 5898 和寒 塩狩温泉
22位(→0 +0) 5401 蘭越 新温泉
23位(→0 +0) 5120 倶知安 二世古温泉
24位(→0 +0) 5044 寿都 湯別温泉
25位(↑2 +886) 4357 椴法華 恵山温泉
26位(↓1 +0) 4219 上士幌 糠平温泉
27位(↓1 +0) 3485 落部 銀婚湯温泉
28位(→0 +0) 3270 支笏湖 大川原温泉
29位(→0 +0) 3150 野付牛 若松冷泉
30位(↑外 +1307) 2896 千歳 支笏湖
31位(↓1 +0) 2596 富良野 松壽園
(以下省略)
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下位の票の動きはあまりないのですが、上位争いが昨日より激しいです。毎日1万票単位で増やさないと、すぐ順位が落ちそう。そんな中、昨日までの4倍に票を増やした瀧不動温泉。
それより宣伝のために飛行機を飛ばす光風館、半端ない…
今日の温泉小ネタは、しばらく上位に名前を連ねていた美谷の歌棄温泉です。歌棄町は現在では寿都町になっていますが、温泉は存在していません。
昭和5年の「後志大観」などにはこの温泉の写真と簡単な説明が書かれていますが、歌棄温泉主の佐藤次郎吉について、日露戦争への招集から帰郷して「明治39年同村に雑貨商を開業しすこぶる繁盛して今日に至る 昭和2年11月同村に霊泉を発見して温泉の許可を受け同年9月花々しく開業するに至り温泉の効能すこぶる顕著にして諸病に特効有り」と書かれています。
これを読んで、11月に発見して同年9月に開業?タイムマシン??となるのですが、おそらく誤植ではないかと。
別の当時の文献には、全く同じ旅館の写真とともに「歌棄温泉は同村の佐藤次郎吉氏の発見に成るものにして昭和4年7月31日より開業す」ということです。
それ以外の昭和初期の他の文献には登場しないため、それ以上のことは今のところ分かりませんが、この温泉のことを調べて本にまとめておられた方がいました。その本には、かつて温泉宿だった場所には商店があり、温泉は湧いていない(水井戸を掘ったこともあるがダメだった)という店主の方のコメントが載っています。
※この投票は90年前に終了しています!