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温泉マイスターおすすめの温泉 熱の湯

別府市営温泉シリーズNo.4 「熱の湯」
                   シニアマイスター 若松君子

 熱の湯は、別府市で唯一の無料の市営温泉だ。鉄輪断層の”麓“に建っている。現在の建物は、1977年(昭和52)に改築された。2階は公民館になっている。

別府の多くの”ジモ泉“(共同浴場)と同じく、脱衣場と浴室の区別はない。無料であっても、浴槽も洗い場も立派なタイル貼りで、結構広い。しかも、小型の雨湯竹(竹製温泉冷却装置)が設置されている。もちろん、源泉かけ流し。

ミニ雨湯竹

雨湯竹から配管が下りて、ザーザーと流れ落ちている。「熱湯注意!」と書いてあるのに、どれくらいの温度か知りたくて、「ちょっとなら」と触ってみようとしたら、「あ、ダメよ!危ないよ!」と常連のお客さんが声をかけてくれた。別府の他の”ジモ泉”のように、常連のお客さんが多い。亀川や扇山からも来ているとのこと。同じ時間帯に来る人は、名前は知らなくても、顔見知りで、しばらく来ないと「施設に入ったのだろうか」と心配になるとのこと。別府では、温泉は、人と人との触れ合いの場でもある。

 2022年10月の時点で、営業している別府の市営温泉は、17施設ある。そのうち、熱の湯だけが無料だ。1971年(昭和46)には、有料の市営温泉は7か所、無料の市営温泉は9か所あった。当時の入浴料は、大人一人20円だった。現在は、普通浴の料金は、施設によって異なるが、200円~300円だ。1971年(昭和46)の、無料の市営温泉を挙げておく。地蔵泉・鶴寿泉・上渋の湯・上熱の湯・堀田東温泉・堀田西温泉・復興泉・柴石温泉(むし湯・滝湯)。
 熱の湯は、「古くから村民に親しまれただけでなく、遠近の入湯客も多かった。明治になって、人々の往来が自由になると入湯客は急速に増加し、浴場がせまくなったため、明治28年(1895)には改築された」と、安部巌氏著の「別府温泉湯治場大事典」に書かれている。
 この当時の、熱の湯の泉質は、「炭酸性単純泉で、無色やや半透明で、無味無臭。温度は、摂氏53℃で、1ℓあたりの成分含有量は0.3732グラム」と、同じく「別府温泉湯治場大事典」に、1908年(明治41)の「別府温泉誌」の引用を記してある。

旧洗濯場

 熱の湯を少し下ったところに、小さな建物がある。「洗濯場」の跡だ。電気洗濯機が普及する前まで、近隣の旅館の女中さんたちが、温泉で洗濯をしていた場所で、「温泉遺産」として保存されている。当時の熱の湯の泉質は、洗濯に適していたようだ。
 熱の湯は、身熱を除去する効果があるので、この名前になった。興味深いことに、それまでは、「浮湯、怒湯、金の湯、兎狩の湯」など、いくつかの名前で呼ばれていた。

現在の熱の湯

 現在の熱の湯は、引き湯で、泉質はナトリウム塩化物温泉だ。泉源は、渋の湯の上にある。(同じ泉源からの温泉は、むし湯の浴槽にも引かれている。)熱の湯前の道路をよく見ると、温泉マーク(♨)があるのに気がつくだろう。その下に、給湯管が通っている。ちなみに、別府市には、給湯管が張り巡らされており、その総延長は約100キロにもなる。そのうち、市営の給湯管の総延長は35キロだ。

給湯管

 熱の湯に向かって左側の崖に、レンガ造りの構造物がある。これは、かつての泉源の跡だ。飲泉としても用いられていたという。

旧源泉跡

 熱の湯の営業時間は、6:30~21:00。熱の湯の前の広場は、13台が駐車できる市営の駐車場で、こちらも無料だ。
 熱の湯の温泉分析書
 https://www.city.beppu.oita.jp/doc/sisetu/sieionsen/12/bunseki.pdf

参考文献:
別府市誌(昭和48年)第4編温泉 第2章市有温泉
文化的景観 別府の湯けむり景観保存計画 第5章第2節温泉の給湯
安部巌著「別府温泉湯治場大事典」昭和62年 創思社出版

シニア・マイスター 若松君子

別府の「地獄巡り」について―坊主地獄・海地獄・血の池地獄・龍巻地獄―
「日本と世界の間欠泉 そして、竜巻地獄」
「本坊主地獄について」
「温泉藻について」


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