定点観測⑦
夏休み最終日、昼寝をしていたら人が死ぬ夢を見た。それで、そういえば今年もこれを書く時期が来たことを思い出した。
実家でただ暮らしていると孤独はただ物理的に遠ざかる。自分を省みて底なし沼のような、これから絶望になるであろうなにかの前で立ち尽くすこともない。
ただ散文的な現実の大河だけがあって、そこに流されているなということだけを感じる。流されて向かう先が死のみであるということを意識する。
このままではだめなのかな? いやどうなのかな? わかんないな? という感覚から目をそらし続けて加速度的にヤバいおっさんになっている気がする。こういう気持ちから逃れるために「モテたい」とか「子育て」みたいな、社会性と物理リソースを多大に要求されるタスクをねじ込んで生きたほうが精神的には安定するんだろうなと思う。でも俺にそんなことができるなんて、またそうしたいなんてこの30年間一度も思えたことがない。
そういう結論全てを彼が持っていたのかどうかは知らないが、こういう詰みの状況をなんとなく察知していきなりリセットボタンを押したんだろうな。彼は頭が良かった。
その決断を否定する材料がない。いつかはそれが早計だったと言いたくて、そのためにまだまともでありたいと思っている。