精神の交互浴 23/07/14
・今日は賞与の支給日だったのだが、朝から「まあ言うて寸志程度やろ…… もしかしたら貰えないかも……(物損事故を一回起こしているため)」などという心構えをして出勤して、普通にいただけて倍うれしいということをしてしまった。
俺はこういう、時間をかけて最悪の想像を作ることで期待による落差ダメージを減らしつつ喜びを倍増させるみたいな心の動かし方をやってしまうのだが、気持ちいいだけで全然健康には良くない、いわば「心のととのい」だということを自覚してもいる。
人間関係とはつまるところ他者への期待で、それを根拠もなく下げていくことはなんとなく「ナメた態度」に見えるんだろうなという理解はちゃんとある。あと、期待をしないことで逆に人間関係のクリティカルイベント遭遇条件を満たせないこともあったんだろうなと思ってゾッとすることもある。でもどうしてもダメージを減らす動きをしてしまうんですよね……。
・「字が汚い」という指摘を義務教育+高等教育+社会人全ての段階で1回以上受けたことがあるのだが、言われすぎて最近は内心「何回言うねん! しまいにゃキレるぞ!」と逆ギレの域に達してしまいどうしようもない。
字を練習するということにまっっったくモチベーションを感じない。言ってしまえばなんだろう、ノートの綺麗な取り方だけに注力する人をバカにする気持ちが湧いてきてしまう。本質の前でずっと立ち止まって変なことしてんなあと感じてしまう。字は情報伝達手段で、文章力や構成力を鍛えるのならともかく字そのものを鍛えるのは全然見当外れの愚かな行為だという認識をどうしても拭えない。書道の段を持っている人を見て、「その時間で読書でもすればもっと言葉の本質に迫れたのでは(笑)」と思う気持ちを抑えられない。もちろん完全無欠に自分が間違っているのはわかった上で。救いようがないな。